こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

埋もれ木

otello2005-07-11

埋もれ木

ポイント ★★*
DATE 05/7/7
THEATER シネマライズ
監督 小栗康平
ナンバー 82
出演 夏蓮/坂田明/浅野忠信/岸部一徳
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


細切れに切り取られた日常生活の断片。女子高生、老婆、魚屋と豆腐屋、娘を亡くした男、中年夫婦、子供たち、山間の村に住まう人々のひと夏の出来事を取りとめなく描いていく。それぞれのエピソードはあくまでも並列である上に始まりも終わりもない。厳密に計算された構図とライティングでフィルムに修められた映像は、時に幽玄のように美しく時に幻想のように儚い。ただ、そこに有機的な意義を見出そうとしても、かげろうを追うようなむなしさが残るだけだ。


女子高生のまちは友達に物語を作ることを提案する。らくだを飼い散歩させるために街の道路の舗装をはがす。一方、大人たちはさびれいく村に将来を見出せない。そんな時、大昔に火山爆発でできた埋もれ木の森が発掘され、そこで祭りが行われる。まちたちは張りぼてのクジラを作り、風船で空に飛ばすことに成功する。


物語を省略することで見るものの想像力に訴えるという手法はこの作品で成功しているとは言いがたい。森の中の暗闇でで少女が飛び跳ねたり、光るクジラを追いかけたり、埋もれ木の森を散策したり、馬の気球を飛ばしたり。それぞれのシーンが意味ありげなときめきをもたらしてくれるのだが、その正体は決して明かされることはない。期待させられて放り出されるだけ。それが一度ならまだしも、映画に収められたすべてのエピソードが確信犯的に見る者を突き放す。小栗康平監督の意図はもはやここでは意地悪としか思えない。しかし、その意地悪に最後まで付き合った者だけがご褒美を与えられる。


何ゆえここまでストーリー性を排除しなければならないのだろうか。その脚本と演出意図はどこにあるのだろうか。冒頭でまちという少女に「私たちで物語を作らない?」というセリフを言わせておきながら、監督自身が物語を紡ぐことを放棄している。なんという無責任だろうか。それでも物語の展開を追うことをあきらめ映像空間に身をゆだねると、夢と覚醒の狭間にある薄皮1枚ほどの境界線をさまようような奇妙な感覚を覚え、心地よかった。


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