こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

TAKESHIS'

otello2005-11-09

TAKESHIS'

ポイント ★*
DATE 05/11/5
THEATER 渋谷シネパレス
監督 北野武
ナンバー 138
出演 京野ことみ/岸本加世子/大杉漣/寺島進
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


暴力、ダンス、銃撃戦・・・たけしのイマジネーションは際限なく広がっていく。しかし、それはとりとめもない妄想でしかなく、脈絡のない映像からは過激さは感じることはできても映画としての洗練はまったく感じられない。破壊的衝動を映画にしたい気持ちはわかるが、その衝動自体が映画を破壊してしまっては元も子もない。既存の映画的価値観に挑戦したヌーベルバーグの時代なら革新的といわれたに違いないこの作品は、現代ではなんのインパクトも持たない。たけしの自己満足に最後まで付き合うのは相当な忍耐力が必要だ。


コンビニの店員をしながら役者を目指しオーディションを受け続ける北野は、ある日自分とそっくりなタレント・ビートたけしと出会う。その日から北野は自分が映画の1シーンを演じるような夢を見るようになる。


北野が見る夢はいつも破滅のイメージだ。それはしがない人生を送っているものなら誰もが一度は脳裏に浮かべることがある現実逃避。自分の不遇を誰かのせいにしたい、溜まっている鬱憤を晴らしたいといったマイナスのエネルギーを最大限にまで凝縮させた上で爆発させる。役者として成功してカネも地位も女も手に入れるという幸せな空想ではなく、ひたすら銃器を撃ちまくり殺しまくる。その夢は北野という男がたどってきた人生を饒舌に物語るのだが、夢の中で夢を見て、その夢の中でまた夢を見るという複雑な入れ子構造をとっているためにエピソードに論理的なつながりはない。むしろ整理し切れていない雑多な映像の言い訳に「夢の入れ子構造」を利用しているに過ぎない。


結果として、映画はまとまりのない散文的なエピソードの集合体という形となり、映像を理解しようとしても徒労感だけが残る。考えるのではなく感じろ、と作者のたけしは言いたいのだろう。しかしこの作品からは、ほとばしるような生の狂気も濃密な死の静謐も感じられなかった。自分のワガママがどこまで取り巻きと世間に通るかという、大スター・たけしの幼稚な発想だけが強烈に発露していた。


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