こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

キング・コング 

otello2005-12-16

キング・コング KING KONG


ポイント ★★*
DATE 05/12/12
THEATER 東京フォーラム
監督 ピーター・ジャクソン
ナンバー 154
出演 ナオミ・ワッツ/ジャック・ブラック/エイドリアン・ブロディ/トーマス・クレッチマン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


70年以上も前の時代が舞台なのだ。アメリカ人は平気で手付かずの自然に土足で踏み込み、原住民を射殺したりコングを鎖につなぐ。野生動物や未開地の原住民に対する尊敬の念など微塵もない。中国人や黒人も当然白人のために犠牲になる。そんな中、映画に対する執念だけでカメラを回し続ける映画監督がこの時代の人間としてはとてもリアリティに富んでいた。もっとオリジナルに沿ったキャラクターを設定していれば痛烈な文明批評になったはずなのに、中途半端にコングと人間が心を通わせてしまったところが世論に迎合しているようで鼻につく。


映画監督・カールは新作の撮影のために南海の孤島を訪れると、そこは恐竜の住む恐ろしい島。原住民が女優のアンを巨大ゴリラ・コングの生贄として捧げるが、コングはアンに恋をする。アンも最初は逃げ出そうとするが、コングに知性や感情があることがわかると次第に心を通わせていく。


巨大草食恐竜の大暴走からコング対肉食恐竜の戦いまで、大迫力で迫る圧倒的な映像が怒涛のごとくスクリーンを覆う。大画面と音響効果で映画館でしか味わえない興奮をこの映画はもたらす。30年代のNYを再現したセットやCGも素晴らしく視覚的こだわりが細部に宿っている。


だからこそ、コングが恋におちるアンや進歩的な脚本家・ジャックがコングの知性に理解を示すシーンが白々しく見える。アンがもっとコングを恐れ、ジャックも汚い獣を見るような態度を取り続けていたほうが当時の人間らしく映ったはず。このふたりにコングに対する徹底的な差別意識を持たせれば、より現代の空気を反映させたのではないだろうか。無理やり力で屈服させ、反抗すると容赦なく叩き潰す。これこそ米国のやり方だ。しかし、米国人が見下したり敵視している人々も愛や知性を持っているのだ。それをを米国人に気づかせるような内容にしてこそ、時代に対するアンチテーゼとしてコングを蘇らせた意義があるはずだ。


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