こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

SPIRIT

otello2006-03-24

SPIRIT 霍元甲


ポイント ★★*
DATE 06/3/19
THEATER 109港北
監督 ロニー・ユー
ナンバー 42
出演 ジェット・リー/スン・リー/ドン・ヨン/中村獅童
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


抜群の体術がありながら、どうしてジェット・リーはワイヤーアクションを使うのだろう。鍛え上げた肉体と抜群のスピード、武術の技量があればそれだけで十分な説得力があるはず。いかにもという感じで不自然な形で人間が宙を舞い回転する。こんなワイヤーの使い方ではいまどき誰も驚くどころか、映画自体を安っぽいものに貶めていることに気づいてほしい。ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」にも描かれた道場の創始者を演じるならば、己の肉体のみで格闘シーンを見せるべきだろう。


天津の武道場主の息子・元甲は父に禁じられていたのもかかわらず密かにクンフーの鍛錬を積む。成長した元甲は天津一を名乗り他流試合に連戦連勝、しかし同時に高慢になっていく。そんな時、敵対する道場主を決闘で殺害し、その報復に母と娘を殺される。愛するものを同時に失った元甲は放浪の旅に出て農村で優しい娘に拾われる。


外国人に国土を踏みにじられ中国人自身が民族の誇りを失っていた時代、霍元甲という実在の武術家が自分のために戦うという次元から目覚めて民族のために戦う決意をするという大義名分が作品のスピードを落としている。格闘家は「なぜ戦うのか、誰のために戦うのか」という動機付けが必要なはずなのに、農村で隠遁生活を送っていた元甲がいきなり愛国心に目覚めるのはいかにも不自然。彼自身か家族友人に外国人から何らかの侮辱を受けるというようなエピソードが必要だ。


単に戦うことが自分の生きる道であるとか、武道を通じて心身ともに鍛え何らかの境地にたどり着くというほうが説得力があるのに、何ゆえ政治的な思惑を織り込むのだろうか。また、命がけの試合のはずなのに何の準備もしないで拳を交わすというのは現実離れしすぎ。日本人格闘家と茶の葉をめぐって禅問答をするシーンで、西洋風のスポーツとは違い、武術は精神を鍛える術であり、哲学であり、芸術でもあることを語らせる。しかし、そのあたりの踏み込み方も甘く、武術の奥深さを語るまでにはいたっていない。やはり、ジェット・リーがブルース・リーを越えるのは不可能なのだろうか。


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