こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

水霊(ミズチ)

otello2006-06-01

水霊(ミズチ)


ポイント ★*
DATE 06/3/2
THEATER 映画美学校
監督 山本清史
ナンバー 31
出演 井川遥/渡部篤郎/星井七瀬/柳ユーレイ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


水を媒介にして拡大する恐怖、というのがこの作品のテーマ。しかし、恐怖の根源にあたるものに明確な実体がないという致命的欠陥のため、まったく怖さがない。汚染された地下水を飲んだ人間が次々に幻覚を見た挙句、悲惨な死に方をするのだが、ただその幻覚を映像化しているだけ。感染者の生理的な違和感を描くことには成功しているが、そこから一歩踏み込んだ、自分の心身が蝕まれていく過程で正気と狂気の間で葛藤するというプロセスもないため、構成も単調になっている。もう少し原案の段階からストーリーに工夫を凝らすべきだろう。


新聞記者の響子は取材中に老人の変死体を発見、「みずち」と書いた紙切れを手に入れる。その後、知人の学者も謎の死を遂げ、女子高生、教師といった人々が奇行の末自殺するという事件が続出する。響子はその原因が東京都西部の地下水脈にあると気づき、水道局の技師で元夫の祐一に相談する。


新聞記者のヒロインが次々と起きる怪死事件を取材していく途中で、その異様な真相に気づいて何らかの対処法を練るというプロットをなぜ取らなかったのだろうか。そもそも広大な地下水脈が感染源ならば、かなりの規模で感染が起き被害者数も数十万人単位になっているはず。しかも、地道に調査しているうちに非常事態宣言が発令されてもおかしくないような感染の広がり方なのに、登場人物が「最近自殺者が多くて・・・」程度の認識しかないのはあまりにもリアリティに乏しい。


しかも、この語り部となるべき新聞記者自身が死んだはずの自分の赤ちゃんを実在していると思い込んでいるという、視点にしっかりとした足場を与えずにただただエピソードを継ぎ足しているだけのお粗末な展開だ。このオチならば、結局この映画で描かれてきたのはすべて新聞記者の妄想だったという解釈も成り立つではないか。山本清史というこの作品の監督、映像の表現技術はきちんとしたものを持っているのだから、脚本にもう少し労力を使うべきだった。


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