こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

13歳の夏に僕は生まれた

otello2006-06-05

13歳の夏に僕は生まれた QUANDO SEI NATO NON PUOI PIU NASCONDERTI

ポイント ★★★
DATE 06/5/11
THEATER シネカノン
監督 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
ナンバー 70
出演 アレッシオ・ボーニ/エスター・ハザン/マッテオ・ガデラ/ヴラド・アレクサンドル・トーマ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


少年が大人になる瞬間、それは今まで知らなかったこと、知らずに済ませてきたことを目の当たりにし、自分の住んでいる世界以外には厳しい現実があることを理解する時だ。恵まれた生活を送っている少年が食うために仕方なく犯罪に手を染めざるを得ない人々と出会ったとき、自分の価値観が一気に崩れる。近づくことさえ恐れていた人々も一人の人間として付き合えば心が通じ合うが、それでも乗り越えられない壁があり、自分の無力を自覚し、またそれに目を瞑って生きていくすべを覚えていく過程なのだ。


父親とクルージング中に海に落ちたサンドロは不法移民の密航船に救助される。そこでエドゥとアリーナというルーマニア人兄妹と仲良くなり、収容所についても二人のそばを離れず、両親に彼らを養子にするよう頼み込む。しかし、エドゥの犯罪歴のため、当局に拒否される。


着の身着のままでイタリアに向かう密航者の群れがリアルだ。摘発に怯え、ガイドの横暴にも耐え、甲板だけでは収まりきれない大人数にもかかわらずひしめき合う。国籍・言語も多彩だがトラブルが即命取りになることが分っているため、皆助け合っている。収容所でも一蓮托生の気持ちが強いのだろう、諍いの様子はない。白い目で見られがちな彼らは決して犯罪者ではなく、ただもう少しましな生活がしたいと願っているだけの善良な人々なのだ。そしていつしか彼らは夢破れ、犯罪に手を染めなければ生きていけない。サンドロの目を通して描かれる現実は、経済的繁栄の底辺で生きなければならない人々の姿をあぶりだす。


おそらくエドゥとアリーナは兄妹などではなく、ポン引きと売られた娘なのだろう。イタリアでの自分の運命を知っていたアリーナは最初から表情をなくし、少女らしい笑顔をまったく見せない。収容所を脱走した2人はミラノに逃げるが、それでもアリーナはサンドロにSOSを発する。彼女の仕事を知ったサンドロは言葉をなくし、それでも気持ちを通じ合わせようというサンドロの遠い目が印象的だった。

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