こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

DEATH NOTE [前編]

otello2006-07-03

DEATH NOTE [前編]


ポイント ★★*
DATE 06/6/29
THEATER 池袋シネマサンシャイン
監督 金子修介
ナンバー 102
出演 藤原竜也/松山ケンイチ/鹿賀丈史/香椎由宇
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


自分の器以上の能力を手に入れたら、人はどうなるのか。司法試験一発合格程度の秀才と正義感では、人を自由に殺すことができる超常パワーを制御しきれず独善に陥ることは必定。FBIが全幅の信頼を措くレベルの超人的な頭脳の持ち主が相手では勝負は目に見えている。相手を罠をかけ、落ちると見せかけて新たなトラップを仕掛けるという駆け引きがスリリングだが、頭がいいつもりの主人公がだんだんと当初の目的とは違う殺人を繰り返さざるを得ないように追い詰められていく過程で、人間の弱さを描ききれていなかった。


警察官僚を目指す夜神は凶悪犯が野放しにされていることに憤りを感じていたが、ある日、名前を書かれた人間が死ぬというデスノートを拾う。夜神はキラとして世界中の凶悪犯の名をノートに書き殺していくが、警察は犯罪捜査の天才・Lの指令の下、徐々にキラの正体に迫っていく。


デスノートに触れたものだけが目にする死神がユニークだ。死を司るが、人間の行為自体には干渉しない。その醜悪なヘビメタ風外見とは裏腹に、夜神を悪の道に引きずり込むような甘言を囁くより、むしろ夜神の暴走を批判的に見ているのだ。しかも夜神は最後には死神をして「悪魔のようだ」とまで言わしめる。悪とは外的要因ではなく、もともと人間の心の中に潜んで眠っているだけであることを死神は喝破するのだ。


やがて夜神は自分の身を守るためにデスノートに記名を始める。もはやそれは正義の鉄槌などではなく、窮鼠の悪あがきにすぎない。手の内はすべてLに見透かされているのに、夜神はまだ自分が逃げられると思って余裕があるが、Lの本名が分らない以上夜神に勝ち目はないはず。ここで破滅してもおかしくない。だいたい、夜神が警察庁のコンピューターにアクセスした時点でログが残るだろうし、命の次に大切なデスノートの管理もいい加減。無理やり [後編] に話をつなげようと無用なエピソードを付け足す商魂は好きになれない。


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