こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

カーズ

otello2006-07-05

カーズ CARS


ポイント ★★
DATE 06/7/1
THEATER ワーナーマイカルつきみ野
監督 ジョン・ラセター
ナンバー 103
出演
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


生物やおもちゃなら意思や感情を持たせても違和感はなかったが、自動車まで擬人化して物語を作ってしまうという力技には恐れ入る。しかし、この作品は本来人間が演じるべきキャラクターを車に置き換えているだけ。人間が一切登場せず、「人間からこういう扱いを受けたら機械はこう思うだろう」という機械の人間に対する視点が決定的に欠けている。持ち主の身勝手に振り回される物言わぬ車の気持ちを代弁させるのでなければ、車の気持ちをわざわざ表現する必要性は感じない。


天才的レースカー・マックイーンはルーキーながら連戦連勝。チャンピオンシップに出場するための移動中に地図にもないような小さな町に迷い込み、そこで時代遅れの古びた自動車たちと出会う。


才能に恵まれ向かうところ敵なしの高慢な若者が、小さな挫折の末に友情や信頼の大切さと恋の歓びを知り、精神的に成長する。そんな、あまりにもありふれた話に命を与えているのは車たちの表情だ。フロントガラスに目を描き、ラジエータグリルを口に模す。喜怒哀楽を人間同様豊かに表現することで、人間という車の運転を担う存在を完全に忘れさせる。とくにかつてスターだった車の過去が明らかになるシーンなどは身勝手な世間というものを十分に感じさせる。その一方で、車同士が恋に落ちるなどという展開はどう考えてもしっくりこない。車は所詮機械。そのデザインやスペックに歴史を語らせるのは技術的進歩や流行を知る上で貴重だが、無理やり性別を与えて恋を芽生えさせるなどという飛躍は物語を陳腐の沼に落とす。


高速道路や鉄道の発展で寂れていった宿場町のシンボルとして、舞台となるラジエーター・スプリングスを設定しているが、ルート66という固有名詞を与えることでその存在を遠いものにしている。米国人ならばその名に郷愁を感じるのだろうが、外国人にはその記号は意味を持たない。また、登場する車たちも実在の車種をモデルにしているために、「どこででもだれにでもありうる話」というファンタジーの普遍性を奪っている。繰り返すが、この設定ならばフツーに人間を主人公にすればよいのであって、何も自動車を主人公にして描く必要はない。


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