こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ゲド戦記

otello2006-08-02

ゲド戦記


ポイント ★★
DATE 06/7/29
THEATER ワーナーマイカルつきみ野
監督 宮崎吾朗
ナンバー 122
出演
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


命の限り精一杯生きる。映画が訴えたいことはその一言に尽きる。しかし、それを何度も登場人物の口から聞かされては、ご立派な人生訓も陳腐になり、余計なおせっかいと感じてしまう。説教くさい内容ほど直接言葉にするのではなく登場人物の行動で表現すべきなのに、これでは逆効果。そもそも自暴自棄になっている少年に「命を大切にしないやつなんか大嫌い」と言ってみても、「あっ、そう」で終わってしまうだろう。


王である父を殺し逃亡生活を送るアレンは荒野で獣に襲われたところをハイタカという男に救われる。ハイタカと共に旅を続け街に出るが、そこは魔法と退廃に支配されている。アレンは魔女狩りにつかまった少女・テルーを救うが、逆につかまって奴隷として売られてしまう。


そもそもアレンという少年は何ゆえ父を殺す必要があったのだろう。悪意を象徴する「影」がアレンを動かしたのだろうが、どうみても必然性がなく衝動殺人にしか見えない。偉大な父親への尊敬がいつしか嫉妬に変わり、その心の弱さに「影」が付けこんだということか。その後、ハイタカやテルーとの出会い、そしてクモという永遠の命を得て世界を支配しようとする邪悪な魔法使いとの戦いを経て、アレンは自分の命も他人の命も等しく尊重し生を全うすることが人間に与えられた使命であることを自覚するのだが、だからといって父殺し・王殺しの罪状が軽くなるわけではあるまい。このまま故国に帰っても死刑になるだけだろう、普通は。


またハイタカの正体は大賢人ゲドという国いちばんの魔法使いなのだが、彼とアレンの間に横たわるはずの運命のいたずらのようなものも感じられない。アレンこそゲドが長年探し回っていた後継者の素質を持つ少年ならば、もっとゲドの方に霊感が働くはずだろう。原作を読んでいればもう少し話の奥行きが理解できたのかもしれないが、物語が何の必然性もなくどんどん展開していくだけ。結局、テルーって龍の化身だったのか。。。


↓メルマガ登録はこちらから↓