こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

紙屋悦子の青春

otello2006-08-15

紙屋悦子の青春


ポイント ★★★★*
DATE 06/4/14
THEATER 松竹
監督 黒木和雄
ナンバー 56
出演 原田知世/永瀬正敏/松岡俊介/本上まなみ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


愛する女がいながら特攻で命を散らす運命である男は、その思いを口にすることができない。女もまた彼への思いを胸に秘めながら、本心を隠している。二人の気持ちが手に取るように分るのに、スクリーン上では他愛のない日常生活における会話がコミカルに繰り返される。愛する人とただ平和に暮らしたい、じっくりと据えられたカメラは、そんな小さな願いさえ引き裂いてしまう戦争の残酷さを鮮明にあぶりだす。


太平洋戦争末期、鹿児島の田舎に兄夫婦と暮らしている悦子は兄の後輩・明石少尉に惹かれていた。明石も同じ気持ちだったはずなのだが、ある日明石は自分の親友・長与を見合い相手として悦子に紹介する。明石は特攻に志願したため、自分が愛する悦子を親友に託そうとしたのだった。


おかずの味や献立、ちょっとした夫婦喧嘩など、田舎の小さな家の食卓や居間で交わされるリアルな日常会話が延々と繰り返される。そして、クライマックスともいうべき見合いのシーン。ぎこちないやり取りは笑いすら誘うの。戦争中という緊張感も乏しく、それがかえって特攻という異常さを際立たせる。明石は自分の人生のタイムリミットを知っている。だからこそ、平時には印象にも残らないありふれた会話の一言一言がとてつもないほど強烈に生き残ったものの心に焼きつくのだ。その後の別れのシーンでは、明石は長与と悦子の将来を祝福して去る。叫びだしたい気持ちを抑えて笑顔を見せ、悦子もまた追いすがりたい気持ちがありながら足が動かない。明石の後姿を見送る悦子、言葉にならない言葉がふたりの間を飛び交う。「好きな人と離れたくない」という凝縮された思いが、時間と空間を濃密に満たしていく。


戦争の足音がほとんど聞こえないような片田舎では、都市部とは違って戦争末期と入ってもそれほど窮乏しているわけではない。それでも戦争は確実に人間の暮らしから大切なものを奪っていく。絵に描いたような悲劇を見せるのではなく、日常の中で起きる一度だけだが決定的な異常という形で、静かだがぬぐいがたい強烈な反戦メッセージを残す。黒木和雄監督の、人生最後にして生涯最高の傑作だ。


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