こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

トリノ、24時からの恋人たち

otello2006-09-04

トリノ、24時からの恋人たち DOPO MEZZANOTTE


ポイント ★★*
DATE 06/5/25
THEATER メディアボックス
監督 ダヴィデ・フェラーリ
ナンバー 80
出演 ジョルジョ・パゾッティ/フランチェスカ・イナウディ/ファビオ・トロイアーノ/
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


いくら映画という幻想の中に生きようとしても、人は現実に追われるものだ。食べること、寝ること、そして愛すること。映画の中に人生のあるべき姿を求めてもすべての映画は所詮は作られた物語。主人公が数多の愛や喜怒哀楽に囲まれて暮らしていても、そこから真実にはたどり着けないことを作者は知っている。なのに古い映画を引用してお茶を濁す。せっかく主人公が映画博物館で暮らす映画オタクという設定なのに「物語のある映画には興味がない」といわれると見る者の興味は半減する。


映画博物館で住み込みの夜警をしているマルティーノの元に、雇い主に大やけどをさせたアマンダが逃げ込んでくる。やがて2人の間には愛が芽生えるが、アマンダにはアンジェロという自動車泥棒の恋人がいた。


マルティーノの理想はキートンの映画のように生きることなのだろうか。しかし、そこは感情表現が恐ろしく単純で、人を好きになり、好きになった人を振り返らせるというような複雑な駆け引きはない。結果的にマルティーノは純粋な人というより世間と折り合いがつけられないただのバカにしか見えない。かといってアンジェロはアマンダのいない間に平気で浮気するようなケチな泥棒で、強烈な個性も未来への展望もないという魅力の乏しい人物。本来、彼の存在が大きなキーになるべきなのに、小さな波紋しか呼び起こさないのはなんとも肩透かしだ。


結局、この作品はアマンダの視点で見るべきなのだろう。恋人はいるけれどフリーター生活には将来の展望もないが、かといって人生における決断は先延ばしにしている。そんな閉塞的な状況で警察に追われる身になり、まったく次元の違うタイプの男と出会う。そこでも彼女の心は揺れ動かず、選択権を与えられても「選ばない」という選択をする。希望なきモラトリアム、そこには楽観もないが悲観もない。そんな登場人物たちの主張もなくヤマもないエピソードからは、「映画のような話はそれほど世の中にはない」ということしか伝わってこないのはなんとも皮肉だ。


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