雨音にきみを想う 摯愛
ポイント ★★
DATE 06/8/10
THEATER シネマート
監督 ジョー・マ
ナンバー 127
出演 ディラン・クォ/フィオナ・シッ/チャン・コッキョン/チャン・チンユー
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
男はその生業ゆえに多くを語らず、女は背負うものの重さに一歩を踏み出せない。お互いに惹かれあいながらもまったく違う世界に生きているふたり。しかし、障害を克服してまで愛に殉じる決意が男女双方に乏しく、結果として間延びしたぬるい展開が延々と続く。そこには恋の喜びも情熱の激しさも乏しく、抑制しすぎた感情だけが素通りしていく。この程度の内容ならば50分くらいにまとめて、もっとスピーディーな展開の中編にしたほうがいい。
全身麻痺の兄とその子の生活の面倒を見ながら健気に生きるウィンインのもとにチョッカンという若者が転がり込んでくる。最初は警戒していたウィンインも兄や姪とすぐに仲良くなったチョッカンに心を開いていく。しかし、チョッカンはヤクザ者に追われるケチな泥棒だった。
肉親の生活を支えながら、自らも遺伝性の病気の発病におびえて生きるウィンインの境遇が哀しい。自分の人生を犠牲にしてまで家族に尽くす若い娘。せめて姪が成人するまではと我慢しながらも、やはりたまにはキレる。それでも血のつながりという束縛からは逃げられない。姪を残して姿をくらました兄嫁よりもよほど責任感が強く、中国人の血脈や幼長の序に対する考え方がウィンインの人生に色濃く反映されている。
それに対し、チョッカンの生や他人に対する思いの希薄なこと。ウィンインと彼女の家族と知り合い、それまでのコソ泥稼業から足を洗うわけでもなく、ヤクザに追われた挙句ウィンインたちを巻き込むのだ。孤独に生きるチョッカンから見れば経済的に苦しくてもウィンインたちに家族の優しさを見たのかもしれないが、元々そういう関係を嫌って金持ちの母親から逃げたのではないのか。ヤクザとの関係もとってつけたようだし、ウィンインへの愛も中途半端。結局、この男の煮え切らなさが映画を心象風景をつなげるようなシーンを多用した退屈な映像の連続にしてしまった。