こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ルナシー

otello2006-11-26

ルナシー SILENI

ポイント ★★
DATE 06/9/6
THEATER 映画美学校
監督 ヤン・シュヴァンクマイエル
ナンバー 147
出演 パヴェル・リシュカ/アンナ・ガイスレロヴァー/ヤン・トジースカ/ヤロスラフ・ドゥシェク
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


正気と狂気、条理と不条理の境界はいったいどこにあるのだろうか。自分が正気でないことに気づいている男と、完全に狂気に支配されている男が対峙した場合、もはや何が正しいのかは相対的になり、心の弱いものから飲み込まれてしまう。そういう映画の主張は理解できるのだが、描き方がシュールで人間の不快感に訴えるような映像は退屈。精神に障害を持っていながら良心は強い主人公という、きわめて曖昧な立場の視点は、見ている人間の足場も揺するようで、落ち着いた気持ちを維持するのは難しい。


繰り返し悪夢にうなされ夜中に暴れまわるジャンは侯爵と名乗る男に救われ、彼の城に招待される。侯爵が神を辱め乱交にふけるのを見たジャンは逃げようとするが、逆に精神病院に連れて行かれる。そこで乱交で陵辱されていたシャルロットという看護婦と出会う。


エピソードのつなぎ目に挿入される生肉や舌を使ったパフォーマンスはジャンの精神を表現しているのだろうか。しかし、何らかのメタファーを汲み取ることは困難で、生肉の持つまだ食事として調理される以前の獣肉の生臭さだけが伝播する。柔らかく、冷たく、少し前までは生きていたという質感。ユーモアや恐怖もあるわけではなく、そこからはただ奇異なものを見せられたくらいの感想しか持ち得ない。


結局、精神病院自体が逆転の構造に支配されていて、それを正常に戻したジャンが、逆に反逆者として処理される。悪いは正しい、正しいは悪い。主人公=観客は不条理のスパイラルに吸い込まれ、救いのないまま絶望の淵に落とされる。資本主義対共産主義といった絶対的な価値観があった時代には、このような常識を疑う作品は意義があっただろうが、あらゆる古い価値観が崩壊して「正しいものは何か」ときっぱりと言い切れない現代においてはもはや当たり前すぎて時代遅れにしか感じない。


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