こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

武士の一分

otello2006-12-06

武士の一分


ポイント ★★★
DATE 06/12/2
THEATER 109シネマズグランベリ-モ-ル
監督 山田洋二
ナンバー 211
出演 木村拓哉/笹野高史/壇れい/小林稔
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


口の端を持ち上げて鼻を鳴らす月9ドラマで見せるようなキムタクの表情に、映画俳優の中にTVタレントがひとり混じっているような違和感を覚えた。軽い演技に平板な台詞回しは、侍でありながら、毒見役という食べることを仕事にする主人公の人間としての軽さの象徴なのだろうか。そんな下級武士でも命を懸けてでも守らなければならないプライドがある。軽んじられてきた男の最後の意地=一分を表現するには、心の底から搾り出すような死を覚悟した凄みが必要なのに、キムタクには最後まで感じられなかった。


殿様の毒見役・三村は貝の毒にあたり、視力を失う。そんな時、藩の上級職・島田は三村の妻・加世に近づいて三村の禄をエサに彼女を手篭めにするが、そのことが三村の耳に入る。三村は加世を離縁し、島田に復讐するために剣の稽古に励む。


武士はみな責任感という「一分」を命より大切にする。それは潔い死に方への憧れだ。ほんのわずかしか出番はなかったが、三村の上司・樋口は料理人らの潔白を証明した後、食中毒事件の責を負って切腹する。居眠りばかりの無害な老人ですら、不始末の清算に命を差し出すのだ。彼にとってはこのまま隠居してぼけるより、切腹して果てるほうが武士としての美学を全うすることとなるのだろう。彼の自害には、命を散らすことでむしろ最期を飾れたという満足感すら漂っていた。


一方の三村の「一分」は、妻をだましして寝取った男に対する憤りと、気づかなかった自分への腹立ち。面子を潰されたことへの怒りだ。そして盲目の三村に負けた島田も沈黙を守ったまま腹を切る。他人の目を気にするより、ふがいない自分自身への決着。そう、武士は面目を失っては生きていけないのだ。それだけに、人情の機微に通じている家来・徳平を演じた笹野高史の好演が光る。彼の心遣いがなければ、三村と加世は離れたまま。低い身分ゆえ「武士の一分」はなくてもは、人生に必要なものは何かきちんと理解し、行動できる。三村夫婦の愛よりも、この徳平という男の優しさに胸が熱くなった。


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