こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

愛されるために、ここにいる

otello2006-12-18

愛されるために、ここにいる JE NE SUIS PAS LA POUR ETRE AIME


ポイント ★★★*
DATE 06/10/5
THEATER 映画美学校
監督 ステファヌ・ブリゼ
ナンバー 168
出演 パトリック・シェネ/アンヌ・コンシニ/ジョルジュ・ウィルソン/リオネル・アベランスキ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


男にとってネクタイとは自分自身を縛り付けるものの象徴なのか。職業上の倫理だけでなく、私生活においても行動を縛り思考を抑制する。そして自らを律するルールを他人にも当てはめようとして、自分の周りから人を遠ざけてしまう。そんな男が50歳すぎて手に入れたものは孤独。その孤独とすら彼は上手に付き合うすべを知っている。映画は、主人公に訪れた最後の恋を通じて、人生の新しいステップを踏み出すために必要な小さな勇気ときっかけを抑制の効いたタッチで描く。


ジャン=クロードは裁判所の執行官という仕事にうんざりしながらも息子に跡を継がせようとしている。ある日、医者から運動を勧められてタンゴ教室に通い始めるが、そこでフランソワーズという美しい女性と出会う。ジャン=クロードは彼女に恋をするが、フランソワーズには婚約者がいた。


息子との関係はぎこちなく、老人ホームにいる父とはいつもケンカ別れ。頑固で不器用な上、自分の気持ちを上手に伝えられない男たちの遺伝子が3代にわたって見事に受け継がれているところが笑える。親子間で愛情を表現することの照れくささの裏返しとして、いつも不愉快になってしまう。それでも最後にはジャン=クロードは息子の将来を思いやり、父の愛情に気づくことで、心の壁を乗り越える。


フランソワーズとの関係も決してスマートとはいえない。タンゴ教室のナンパオヤジのおかげで彼女と近づくチャンスを得ても、積極的になれない。婚約者としっくりいいっていないフランソワーズの気持ちに気づかず、つい冷たい態度を取ってしまったりする。それでも映画は、最後にはジャン=クロードの人生を前向きに方向転換することで、心地よい清涼感を残す。ラスト、ネクタイをはずしたジャン=クロードがフランソワーズとタンゴを踊るシーンには、気持ちの持ち方一つで50歳をすぎてもまだまだ恋を楽しめるという、人生に対する積極的な歓びが凝縮されているようだ。


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