こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ツォツィ

otello2007-04-19

ツォツィ TSOTSI


ポイント ★★★★
DATE 07/2/23
THEATER メディアボックス
監督 ギャヴィン・フッド
ナンバー 37
出演 プレスリー・チュエニヤハエ/テリー・ペート/ケネス・ンコースィ/モツスィ・マッハーノ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


世間に対する怒りと憎しみが生きるエネルギーとなり、少しでもカネを持っているものには激しい敵意を抱く。そして、裕福な人間から奪うことに何の躊躇もない。親もなく家もない、土管暮らしのホームレスから強盗になった主人公の心には良心のかけらもなく、ましてや品位など微塵もない。そんな人間らしい心を失った少年に必要なのは教育と他人との関わり方。愛することも愛されることを知らず育った彼の前にあまりにも無防備な赤ちゃんが現れたときに、ふと取り戻したやさしい気持ちが殺伐とした映画に潤いを与えている。


ツォツィは3人の仲間と徒党を組み日々強盗で生計を立てている。ある日、ひとりで高級車を奪ったとき後部座席に生後間もない赤ちゃんがいることに気づく。ツォツィは赤ちゃんを家に連れて帰り、世話を始める。


誰か面倒を見る人間がいないと生きられない赤ちゃんを目の前にして、ツォツィもまた自分が母親に育てられたことを思い出したのだろう。しかし、所詮は思いつき、結局自分では手に負えず、寡婦となったばかりのミリアムに世話を頼む。そこで貧しさの中でも犯罪に手を染めず健気に生きている彼女の姿と、経済的な理由で教師の道を断念した仲間のためにカネを稼ごうとする。しかし、働くという概念がツォツィにはなく、またしても強盗を繰り返してしまう悲しさ。強盗は彼にとって生きるための手段で、それは善悪の範疇を超越した次元なのだ。


人間の本性は善なのに、環境がそれを悪に変え、しかも悪行であることの自覚すらない。ツォツィとて両親にきちんと育てられていれば、まともな人間に育っただろう。しかし、小学校程度の教育すら施す余裕のない貧困層と、豪邸に住みベンツに乗る富裕層のすさまじいまでの格差が厳然と立ちはだかる。誰も教えてくれなかった善と悪の区別を、ツォツィが最後に自分で学んだラストシーンは、救いのない物語に一条の光をもたらした。


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