こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章

otello2007-05-04

北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章


ポイント ★★
DATE 07/4/9
THEATER 九段会館
監督 平野俊貴
ナンバー 69
出演
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


微妙に描きなおされたケンシロウラオウの顔や体の筋肉に覚える違和感。「少年ジャンプ」の連載、単行本コミック、TVアニメと続くこのシリーズの登場人物を、あえて21世紀風に変える必要はあったのだろうか。そして決定的なのがラオウの声。押し出しの強い低音のよく響く声こそ世紀末覇者にふさわしいのに、宇梶剛士の奥行きのない声で「わが生涯に一片の悔いなし!」と叫ばれてもピンとこないのだ。映画は別物、と考えるべきなのだろうが、その割にはストーリーは原作をほぼ忠実になぞっていて新鮮さはない。CGアニメ全盛の今、手書きアニメのよさが十分に残っていることだけは救いだ。


世紀末覇者・拳王を名乗るラオウに対抗する反乱軍が南斗聖拳最後の将の元に終結、ケンシロウも反乱軍に加わる。将の正体がユリアと知ったラオウはユリアを奪おうとするが、ケンシロウが立ちはだかる。


劇中、「愛」という言葉が盛んに出てくる。ユリア、フドウ、ケンシロウ、主要な登場人物だけでなく、ラオウまでが口にする。ユリアやラオウがそれを口にするときは、人々を支配し統治するときの理想として語られるのだが、ケンシロウはいったいどういう思想を持っていたのだろう。確かにケンシロウは支配者の暴虐から弱いものを救い人々に希望をもたらすが、その後はほったらかし。暴政から解放はしても無秩序をもたらすだけなら、まだ拳王に支配されていたほうがマシではないか。なんかフセインから解放された後のイラクの混沌に似ている。


結局、ラオウを暴虐に走らせたのはできのいい弟・ケンシロウに対する猛烈な嫉妬。武術の技量ではケンシロウより勝っているのに、北斗神拳伝承者の地位を奪われた上、思いを寄せていたユリアまで持っていかれる。その精神的痛手を糧に覇道を目指すが、愛や友情よりも力を選んだ男の孤独をもう少し描きこめば、少年向けアニメの域を越えた作品になったはずだ。


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