こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

あしたの私のつくり方

otello2007-05-10

あしたの私のつくり方


ポイント ★★*
DATE 07/1/29
THEATER 映画美学校
監督 市川準
ナンバー 20
出演 成海璃子/前田敦子/石原真理子/石原良純
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


しっとりと落ち着いた美しい映像、そこでは湧き水のように透明でゆったりとした時間が流れる。優等生の自分、ひょうきんな自分、傷つきやすい自分。どれも本当の自分とは違うと感じながら、それでは本当の自分はどこにいるのかは自分でもわからない。そんな思春期の少女の繊細で移ろいやすい感情をカメラは真正面から捕らえようとする。しかし、少女の置かれている日常がありふれているうえに、少女自体がありふれた存在。彼女の両親の離婚と学校生活はわざわざ映画にするほどのエピソードではない。


寿梨は仲間はずれが怖くて学校では目立たたないよう、自宅では喧嘩の絶えない両親に気を使っている。やがて高校生になった寿梨は小学校のときにいじめられていた日南子にメールを送り始め、そのメールを元に小説を書き上げる。


画面の2分割やケータイ画面の合成など、いまどき素人でもやらないようなテクニックを多用する意図はどこにあるのだろう。せっかくじっくりとカメラの前で少女たちが演技しようとしているのに、こんな安っぽい表現でお茶を濁すとは。ただ、「ケータイ小説」という新しいジャンルを取り入れ、それが出版物のようにマスを相手にするのではなく一人の人間に対してだけ発信された物語であるということが、この映画を見ているとよくわかる。むしろこの映画自体が多くの人間を対象としたものではなく、映画と観客が1対1の関係で見るような「ケータイ小説風映画」なのだ。


日南子は寿梨のメールどおり振る舞い、新しい学校で仲間もできる。一方の寿梨は相変わらずいい子を演じ続け、それに疲れている。2人とも「誰も本当の自分をわかっていない」というフラストレーションを抱えながら、お互いだけがホンネを打ち明けられる相手と気づき心を許しあう。それでも、自分がどんな人間なのかわかっている人間なんて大人でもほとんどいないのに、そんなことをとことん突き詰めて考えようとする少女たちの気持ちが痛々しかった。


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