こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ボラット 

otello2007-05-30

ボラット BORAT


ポイント ★★★
DATE 07/5/26
THEATER 109MM
監督 ラリー・チャールズ
ナンバー 105
出演 サシャ・バロン・コーエン///
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


世界の中心・アメリカには一体何があるのか。文明から取り残されたような国からきた外国人が見た、米国人と米国文化の真実。米国人が常識と考えていることは、米国文化の洗礼を受けていない国民にとっては奇妙な習慣にしか過ぎないことを痛烈に皮肉っている。一方で、主人公の無礼な振る舞いに対し米国人がどこまで忍耐強く見守っていることができるかという、寛容の尺度を測るものさしにもなっている。米国と米国人ををおちょくっているようで、結果として彼らの異文化を受け入れることへのおおらかさを証明している。


カザフスタン国営テレビのレポーター・ボラットは米国文化を学ぶためにプロデューサーと共にNYにやってくる。そこで偶然テレビで目にしたパメラという女優に一目ぼれし、彼女に会うために中古車を買ってカリフォルニアに向かう。


言葉の細かいニュアンスが理解できない振りをして、障害者ネタのジョークを連発したり、性差別論をフェミニストの前で披露したり、マナー教室に売春婦を呼んだりと、ボラットの行動は許容範囲をしばし逸脱する。そのときの米国人たちの困り果てた表情が笑いを誘う。自分たちの文化を理解しない外国人、しかもいたってまじめな態度で米国文化を学ぼうとしているボラットに対して、本当は怒っているのだがやさしく諭そうとする。さらにその沸点まで刺激しようとするボラット。女性のほうが男性より先にキレやすいことが映画を通して共通している。


国家に対する侮辱と身体的な接触を一般的な米国人は非常に嫌うことが明らかになっていく。ロデオ大会での米国歌の替え歌やパメラへの行き過ぎた接触など、外国人に対して懐の深いところを見せようとする彼らでも越えてはならない一線があり、それを破ったボラットは強い非難を浴びる。それは米国の常識ではなくやはり人間社会の常識を破ったからだろう。それらは、あくまでドキュメンタリータッチを装った映像の中で作為が垣間見えるシーンでもあったが、それは作者の最低限の配慮なのだろう。


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