こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

街のあかり

otello2007-07-18

街のあかり


ポイント ★★★
DATE 07/7/9
THEATER ユーロスペース
監督 アキ・カウリスマキ
ナンバー 135
出演 ヤンネ・フーティアイネン/マリア・ヤンベンヘルミ/イルッカ・コイブラ/マリア・ヘイスカネン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


家庭はない、友達もいない、もちろん恋人もいない。それでも夢、というより大ボラを吹くだけのプライドはある。孤独で冴えない男が、その心のすき間に付け込んだ悪党にとことん利用され、どん底まで落とされる。極限までそぎ落としたセリフと、ほとんど感情を見せない俳優たちの寡黙なアップが独特の空間を生み、仏頂面を崩さない主人公の人生に対する怨みや憎しみ、そして諦観を饒舌に物語る。社会の弱者に向けるカウリスマキの視線は、突き放したように冷徹で、主人公がたどるドツボのスパイラルを楽しんでいるかのよう。しかし、最後に一抹の希望を与えることも忘れていない。


警備員のコイスティネンは同僚とも付き合わず、バーでもひとりぼっち。屋台でソーセージを売る女が唯一の話し相手で、彼女には経営者になる計画を話したりする。そんな時、金髪の女が彼に近づき親しくなるが、彼女は窃盗団の仲間で、コイスティネンから宝石店ドアの暗証番号を盗み出す。


強盗の片棒を担がされた上に、おまけに濡れ衣まで着せられる。しかしコイスティネンは金髪女とのかかわりを否定し、彼女を守ろうとする。職を失った上に懲役、さらに出所後も不幸の階段を転がり落ちる。それでも彼の表情はまったく変わらず、その運命を淡々と受け入れている。怒っても悔しがっても泣いても状況は変わらない。感情を抑えることで、まるで自分自身の転落を客観視しているかのようだ。実は非常に強靭な精神力の持ち主なのだろう。揺らがない感情の奥で鋼鉄の塊のような意思が透けて見えるのだ。そのあたりは、俳句のような省略の美学が漂う。


コイスティネンにも心配してくれる人がいる。とりあえずだれかれとなく挨拶だけはしていたので、半殺しにされたあとも黒人少年に見つけられ、屋台の女が手を差し伸べる。人はだれもひとりぼっちじゃない、そんなことを思い出させるラストシーンにこの監督の優しさを見た。


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