こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ピアノの森

otello2007-07-26

ピアノの森


ポイント ★★
DATE 07/7/21
THEATER TOHOYK
監督 小島正幸
ナンバー 144
出演
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


英才教育を受けてきたエリートと天衣無縫な天才の出会い。友情を交わすうちに、2人は何が自分にとって一番大切なものなのかを発見していく。しかし、いくら神に選ばれし才能の持ち主でも、打ち捨てられたピアノで自己流の演奏法をいくら磨いたところですぐには練習曲を弾けまい。まして思いついたようにコンクールに出場し課題曲をこなすことなど不可能。これが短距離走ならば野生の少年が恐るべき速さで走ることも可能だろうが、複雑な指使いが必要なピアノの演奏では無理がある。まあ、この映画が対象としている小学生なら気にしないだろうが。


東京から田舎の街に転校してきたピアニスト志望の修平は、クラスメートの海が弾く森に捨てられたピアノのメロディに心奪われる。海の才能を見抜いた音楽教師の阿字野は、修平が出場するコンクールに海も参加させ、2人を競わせる。


海と阿字野が目指した音楽は、型にはまった演奏よりも聞いたことのない斬新さ。それは海自身の生き方であり、彼の魅力だ。しかし、それがクラシックの世界では通用せず、一度は壁にぶち当たってこそ海は成長していくはずなのに、なぜか省略される。自分の流儀を変えずに既成の価値観を飲み込んでいく。そのためのハードな練習は新しい自分を発見していく喜びに満ち溢れている。その過程を描いてこそ、ストイックなレッスンを自らに課している修平との対比が浮き彫りにされ、努力ではどうしても埋まらない「天賦の才」がこの世に存在することを小学生にも理解させることができるのに、映画は海とあがり症の少女の交流やモーツァルトの亡霊など無駄なエピソードに時間を割く。


結局、審査員好みの演奏をした修平がコンクールで優勝、海は選外に終わるが阿字野と共に世界を目指す決意をする。型にはめた訓練で自由な発想を奪うより、個性を重視して才能を伸ばそうという教育的な意図は理解できる。だが、その個性で勝負できるようになるには、いかに天才でも人の何倍も努力しなければならないことをこの映画は忘れている。


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