こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

恋とスフレと娘とわたし

otello2007-09-06

恋とスフレと娘とわたし BECAUSE I SAID SO


ポイント ★*
DATE 07/6/7
THEATER 明治安田生命
監督 マイケル・レーマン
ナンバー 111
出演 ダイアン・キートン/マンディ・ムーア/ガブリエル・マクト/トム・エヴェレット・スコット
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


娘を思う母親の気持ち、それが強すぎると押し付けがましくなる。そして、そんな母に育てられた娘は、自分の気持ちを押し付けることが愛と勘違いするようになる。相手のことを考えているようで、実は自己満足を求めているだけ。そんなイタい感情の連鎖を、俳優たちがイタいほど熱演する。しかし、そのイタさがコメディにまで昇華しているわけではなく、悪ふざけにしか見えない。特に母親役のダイアン・キートンは異常にテンションが高く、自動車での追跡シーンは見苦しいほど。女心をデフォルメしようという試みは理解できるが、ここまではずすと共感は得られないだろう。


パティシエのダフネは夫を早くなくし女手ひとつで3人の娘を育てが、いまだ末娘のミリーだけは男運がない。見かねたダフネはネットで男を集め面接、建築家のジェイソンをミリーに紹介する。その様子を見ていたミュージシャンのジョニーがミリーに接近する。


静電気でおしりに付いた赤い風船に気づかなかったり、デートの最中に会議モードで電話をしたり、走り回る子供がケーキを顔の上にぶちまけたりと、この程度のネタで笑いを取ろうとしているのなら大きな間違いだ。また、縁遠い人生を送っていたミリーが、急にふたりの男を二股かけるような器用さはどこから生まれるのだろう。ミリーがデートのスケジュールを調整するためにさまざまな工夫をして危機を脱するというような「お約束」的なシーンもなく、ただただパラノイア的に自己チューな母娘が周りをかき回しているだけだ。もう少し、脚本家はエピソードをきちんと組み立てるべきだろう。


さらに、ミリーは二股がばれると急に涙を流して被害者面するという図々しさ。そこには自分のことを真剣に愛してくれていたジェイソンやジョニーに対する思いやりは微塵もなく、自己の行いに対する反省もない。自分に正直な女の言動を通じて観客のストレスを解消しようという狙いは恐ろしく空回りしていた。どうせなら勘違いバカ母娘の非常識珍言奇行映画にすれば少しは笑えたはずだ。


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