こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

肩ごしの恋人

otello2007-11-27

肩ごしの恋人


ポイント ★*
DATE 07/11/23
THEATER THYK
監督 イ・オンヒ
ナンバー 239
出演 イ・ミヨン/イ・テラン/キム・ジュンソン/ユン・ジェムン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


本気で愛しているわけでもなく、真剣に何かに打ち込んでいるわけでもない。自分ではまだ若いと思っているのにいつの間にか周りは年下ばかりになってしまたという、勘違いした女のイタイ現実。彼女たちの日常はどこまでも軽く、薄い。まるで90年代日本製トレンディドラマのできの悪い韓国版というような趣だ。いつまでもきれいでいたい、ずっと恋をしていたいという女心は理解できる。だが、人生において恋愛はその一部であることをもっと早く気付くべき。大人になりきれない30女は韓国にも増殖中なのだろうか。


写真家のジョンワンは不倫中、専業主婦のヒスは夫の浮気現場を目撃する。他人の夫を寝取った女と他人に夫を寝取られた女、親友同士のふたりだったが、ヒスが家を出てジョンワンの家に転がり込んできたことから関係が微妙に変化していく。


仕事にかまけて結婚相手にめぐり合えないジョンワンは負け犬、社長婦人として優雅な消費生活を送るヒスは勝ち犬。お互いに相手の生活をうらやましく思っている一方で、相手が持っていないものを自分が持っていることに優越感を抱いている。それでも立場を入れ替えるようなことはしない。だから友情が長続きしているのだろう。もろさとはかなさの上でバランスを保っているふたりの関係、それは相手の心にまで踏み込もうとしないというルールで成り立っている。しかし、映画そのものはもっとふたりの心に踏み込むべきだろう。


この作品はケータイという小道具の使い方を完全に間違っている。ジョンワンやヒスのケータイはひっきりなしに着メロが鳴り、彼女たちはそれに答える。劇中における会話やテンポはそのたびに中断され、せっかくのエピソードの流れがぶつ切りにされる。必要な会話なら直接話すシーンを挿入すればいいだろう。日常生活でもケータイ着信によって話の腰が折られることに不愉快さを感じるのに、映画の中で頻繁に再現し観客を不快にさせるとは、この作者はどういう神経をしているのだろうか。。。

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