こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

サラエボの花

otello2007-12-12

サラエボの花


ポイント ★★★*
DATE 07/12/7
THEATER 岩波ホール
監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
ナンバー 250
出演 ミリャナ・カラノヴィッチ/ルナ・ミヨヴィッチ/レオン・ルチェフ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


戦争が残した爪跡は、時と共に癒されるのではなく傷口が広がるように大きくなっていく。しかしそれは一方で自分が愛してやまないものでもある。娘の成長を見るにつけ、母親の恐怖と憎悪がよみがえる。それでも娘に人並みの暮らしをさせようと無理をする母親。真実を隠せば生きている限り続く苦悩と、真実を明せばまた新しい悲劇が始まるかもしれないという恐れ。母と娘、一人で抱え込むにはつらすぎるが、ふたりならば何とか乗り越えられていく。映画は内戦の地獄から平和を取り戻したサラエボを舞台に、死で終わる悲しみではなく誕生で始まる苦しみを描く。


裁縫で細々と生計を立てるエスマは、娘のサラの修学旅行代金を稼ぐためにナイトクラブで働き始める。そんな時、父は殉教者として死んだと聞かされていたサラは本当の死因を探り始めるが、エスマは曖昧な答えを繰り返す。


男や性的なもの、迷彩服に敏感に反応し、背中に大きな傷跡を持つエスマ。精神や体に負った傷も自分ひとりのものなら折り合いをつけていけるだろう。しかし、セルビア人に輪姦された挙句に生まれたサラを育てるのはどれほど辛かったことか。限りなく愛おしいわが娘でありながら、彼女を見るたびにレイプと暴力の屈辱がよみがえる。さらにサラが自分の出自に疑問を持つ年頃になれば、民族浄化の名の下で行われた忌まわしい非道の記憶が時限爆弾のように爆発する巧妙な仕組み。エスマにとって人生とは無間地獄そのものだ。


それでも辛苦を他人と分かち合い、胸に押し込めていた感情を吐き出せばその先に光明が見えてくる。エスマはサラに父親のことを話し、セラピーでも告白することで肩の荷を降ろしたかのよう。サラは「父親似」といわれた髪をすべて刈ることで、自分の親はエスマだけと宣言する。母と娘の理解と和解。旅立つサラを見送るエスマの姿を通じて、許したり忘れたりすることはできないが、愛が残っていれば未来に希望が持てるという温かいメッセージが心にしみる。


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