アイム・ノット・ゼア I'M NOT THERE.
ポイント ★★
DATE 08/2/5
THEATER シネマート
監督 トッド・ヘインズ
ナンバー 30
出演 クリスチャン・ベイル/ケイト・ブランシェット/ヒース・レジャー/チチャード・ギア
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
放浪の詩人、フォークシンガーからアウトローまで、ボブ・ディランの人生における6つのステージを6人の俳優が演じるという画期的な試みは、あえてストーリーをぶつ切りにするような編集法のためにやたらと混乱する。もちろん、ステージごとにモノクロになったりドキュメンタリー風になったりカラーを重視したり退色させたりと表現方法も6パターンと意欲的に変化をつけているが、それらが物語として有機的に結合しているとは言いがたい。せめて時代順に並んでいたならば、もう少しディランについて理解できたはずだ。
ウディ・ガスリーに憧れてギター片手に旅をした少年時代、ランボーのような詩を書き注目を浴びた青年時代、フォークソングからロックに転向したりキリスト教に傾倒したり、さらに私生活ではフランス人との結婚と離婚、山奥での厭世的な暮らしを経て、再びギター片手に貨車で旅に出る。
まだ存命中の大スターの半生の出来事を振り返り、伝記のように描くというのは、モデルになったスター自身もどこかこそばゆい感があったに違いない。だからこそ、登場人物は誰一人としてディランという名はつけられておらず、あくまで時代を象徴する人物としての描写。それはトッド・ヘインズが事実をアレンジして創作した伝説なのだ。自由なインスピレーションに彩られた無定形な映像の羅列はそれゆえに強烈な輝きを放つが、一方で一本の映画として全体的に俯瞰したときにはカオスに放り込まれたような戸惑いを覚えてしまう。
ディランのことをよく知らない人間が見たら、エピソードになんらかの意味を見出せるのはウディ・ガスリーを名乗った少年時代だけだろう。ガスリーへの憧れを語り、彼と同じことを実践する。少年はまだ何者でもないが、無限の可能性だけは持っているのだ。黒人一家に夢を語るシーンは、少年が輝かしい未来が宿っているという普遍性を感じさせてくれた。
[http://www.otello.com.ua/:title=↓メルマガ登録はこちらから