こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

丘を越えて

otello2008-05-21

丘を越えて


ポイント ★★
DATE 08/5/19
THEATER 新宿バルト9
監督 高橋伴明
ナンバー 118
出演 西田敏行/池脇千鶴/西島秀俊/嶋田久作
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


昭和初期、まだまだ和装が主流で女性差別が一般的だったころ、世間より一歩早く洋装に身を包み、言論の自由を謳歌していた出版社。時流のエッジを走っていた編集部を舞台に、菊池寛という文学界の大物をそばで見続けていた秘書の目を通して、戦争の影が差していない明るく進歩的な時代の空気を鮮やかに活写する。しかし、その雰囲気を描くエピソードは散発でまとまりがなく、登場人物のキャラクターも西田敏行扮する菊池とヒロインの母のほかにはは見えてこない。


菊池寛の秘書として文藝春秋社に入った葉子は、馬という朝鮮人青年と恋に落ちる。一方で菊池からも口説かれて一夜を共にしてしまう。葉子の行為を知った馬は朝鮮に帰る決意をする。


「生活第一、芸術第二」という菊池の文学観、それは日本近代文学の巨人・夏目漱石を否定するかのよう。もはや高等遊民などは明治の遺物、女性も教養をつけて外に働きに出て消費を楽しむというライフスタイルが都市部では芽生えてきたのだろう。また、両班階級出身の馬は自身に高等遊民という意識を持ち、漱石作品の主人公のように自分がその立場に甘んじていることに不満を抱き、そこから逃れようともがいている。このあたり、昭和の文壇の漱石に対する強烈な劣等感が興味深い。


もうひとつの主役は葉子が身にまとう洋服の数々。原色を大胆に用い、肩パッドの入ったジャケットやボディラインを強調したワンピース、そして前髪をそろえたショートカットにハイヒールという、モダンガールを絵に描いたような池脇千鶴のファッションショーと化した装いの変遷が目を見張る。逆に言えば、漱石コンプレックスと衣装デザイン以外は何を言いたかったのかよく分らないということだ。ラスト、善男善女が晴れ渡った丘の上で「丘を越えて」をミュージカル風に歌って踊るシーンに、満州事変と共に平和な幸せだった人々の暮らしが奪われていくことを予感させる。ただ、その過程は強引に落としどころに持ってきましたという唐突な感じが否めなかった。


↓その他の上映中作品はこちらから↓