こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

禅 ZEN

otello2009-01-14

禅 ZEN


ポイント ★★*
DATE 09/1/10
THEATER THYK
監督 高橋伴明
ナンバー 8
出演 中村勘太郎/内田有紀/藤原竜也/村上淳
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


悟りを開くためにただひたすら組む坐禅。心を清め無の境地にたどり着くまで思考を断ち、肉体を宇宙の一部と感じられるまで瞑想にふける。その先に得られるのは魂の平安。煩悩を取り除くことで世の中の出来事をあるがままに認めるようになる。戦乱相次ぐ鎌倉時代、どんな苦境においても決して揺らぐことのない主人公の清冽な生きざまは、社会不安を抱えた現代日本人に物質的な豊かさでは測れない幸福の質を問う。


世の中の苦しみに胸を痛めて死んだ母を見てこの世に浄土を実現させようと誓った道元は、宋に渡り如浄禅師に弟子入りする。修業を積み悟りをひらいた道元は帰国後その教えを広めるが、比叡山から邪教の烙印を押され僧兵の襲撃を受ける。


禅宗に入るということは本能的な欲望を抑えるということなのか。性欲はともかく、坐禅を組んでいる間に居眠りをした僧は厳しく叱責される。米櫃が空になると重湯で我慢しようとする。気持ちを強く持つことである程度は我慢できるが、これでは生命を維持していけなのではないだろうか。そういう状態で命を全うすることが彼らの望みなのかもしれないが。さらに怨霊に憑りつかれた北条時頼との対話も、まさしく「禅問答」で、水面に映った満月を斬ることが怨霊を受け入れることというのは理論が飛躍している気がするが、なぜか悟りを開いた僧侶の言葉には妙な説得力があって、そういうものかと納得してしまう。


欲望こそ諸悪の根源と、それらを取り除くことが平安を得る道と道元は説くが、はたしてそうだろうか。確かに強欲は争いを生み、負けたものに不幸をもたらすが、普通の人間ならば小さな欲を満たすことで幸せを感じられるはず。衣装満ち足りてこその平安であって、人間の根源的な欲求を否定してまで悟りを開こうとは普通の人は思うまい。そのあたり剃髪した弟子向けの説法と生活に苦しむ民百姓向けの訓話を使い分けいるのだが、たびたび出てくる難しい仏教用語はその言葉が意味するイメージがつかみにくく、専門的な知識がない者には理解しがたい部分が多かった。


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