こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

脳内ニューヨーク

otello2009-11-18

脳内ニューヨーク SYNECDOCHE,NEW YORK

ポイント ★★
監督 チャーリー・カウフマン
ナンバー 272
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン/ミシェル・ウィリアムズ/サマンサ・モートン/キャスリーン・キーナー/エミリー・ワトソン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


人生は壮大な一幕芝居、そんな着想を得た演出家が、巨大な倉庫で自らの実生活を演劇として再現しようとする。日常生活が舞台稽古になり、俳優たちが現実の人間に扮する。やがて演出家自身も他人が演じるようになり、芝居は混迷を極める。そこにはもはやステージと社会の垣根がなくなり、何がリアルでどこからが創作なのかが区別のつかないまま時間ばかりが過ぎていく。狂気なのかアートなのか、映画は妄想に憑かれた男が真実を求めて試行錯誤を繰り返す過程で不条理の迷宮に落ちていく。


演出家のケイデンは新作の舞台を成功させるが、妻はひとり娘を連れて家出する。その後高名な賞を受賞したケイデンは、賞金をつぎ込んで新しいスタイルの演劇を通じ、人間の真理を探る作品の制作に取り掛かる。


秋分の朝、奇妙な違和感で目覚めたケイデンは額に大けがをする。外科、眼科、神経科とかかるうちに世界が少しずつ歪んでいく。彼の幻覚はこの時点で始まったと解釈すべきだ。本物の彼はその怪我がもとで生死の境をさまよっていて、後の演出家としての行為や家族との別れなどはすべてケイデンの脳内現象。そう考えると2005年が出発点のこの物語が17年歳月を経た後でも、登場人物は年齢を重ねているのにテクノロジーが進化していないことの説明はつく。秋を題材にした「死」を予感させる詩をラジオで読み上げるのは、そもそも彼も死に向かいつつあると示しているのだ。ただ、そうしたメタファーはどうとでも解釈できるほど曖昧で、人生についてを描こうとしても結局描くに足るものがなかったと告白しているようだ。


自分の毎日を他人に演じさせて人間の真理の一端は垣間見ることができても、やはりそれは作り物。神の視点で見れば人の一生など三文芝居にしか過ぎないのはケイデンも分かっている。だが、軸足をどこにおいてよいのかわからないほど不安定で空疎な映像の羅列は、ケイデンの心象風景と重なり、彼の存在自体を危うくしている。かくも自家撞着を抱えた世界はほどなく破滅を迎えるが、この映画を観終わっても長く退屈なイマジネーションのトンネルを抜けただけという印象はぬぐい切れなかった。