こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

アブラクサスの祭

otello2010-08-25

アブラクサスの祭

ポイント ★★★
監督 加藤直輝
出演 スネオヘアー/ともさかりえ/小林薫/本庄まなみ/ほっしゃん。/たくませいこ
ナンバー 196
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


あらゆる欲を捨て去るために仏門に帰依したはずなのに、音楽という煩悩だけはとりついて離れない。それは耐えがたいほどの耳鳴りとなって主人公を内側から苦しめる。そういった心の叫びを開放すれば本来の自分に戻れるのではないか、そう思った彼は再びギターを手にする。映画は、ぬる〜い日常の中でさえ自己を見失ってしまうほど弱い男の再生の過程をたどりつつ、“足るを知る”ことが人生を豊かにすると静かに主張する。


福島県の田舎町でサラリーマン僧侶をする浄念は、高校の講演会に招かれて緊張のあまり大失態を演じる。その後も些細なことで感情を抑えきれなくなるが、原因は己のロックに対する渇望であると気づく。


浄念は寺の住職の許可を得て、街でライブを催す計画を立てる。住職の妻に作ってもらったポスターやチラシを一軒一軒回って貼ってもらい、新たな曲作りに没頭する。そんな彼をあきれながらもやさしく見守る妻の多恵のまなざしがあたたかい。子供のように純粋だけど、すぐに落ち込む浄念を、時に叱咤し時に慰め、尻に敷きながらも好きにやらせる。まさによくできた糟糠の妻といったおもむきで浄念を支え、物語に花を添えている。


◆以下 結末に触れています◆


普通の映画ならば、浄念が自らの復活をかけてライブの準備に奔走するうちに可能性に目覚め、家族のきずなや友人知人のありがたさなどを実感しながら様々な困難を乗り越えていくような展開になるはずだが、この作品では周囲の人は物わかりよく協力的。ライブ会場に予定していたスナックが使えなくなるのが唯一の障害で、それも寺の前をステージにすると住職が提案しあっさりクリアしてしまう。これほどまでに主人公を甘やかすストーリーも珍しいが、それでも浄念は知人の死を乗り越えられず失踪したりする。生きていくための切迫感がない状況なのに、生きづらさを感じる浄念。それは葬式、つまり人の死が当たり前の生活をしているからなのだろう。残された者の悲しみを受け止めるばかりで、適当に流せない繊細な神経。ステージでの絶叫で、初めて浄念は死者の魂から解放されたかのように、穏やかな顔に戻るのだ。