こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

アンチクライスト

otello2010-12-23

アンチクライスト ANTICHRIST


ポイント ★★★
監督 ラース・フォン・トリアー
出演 シャルロット・ゲンズブール/ウィレム・デフォー
ナンバー 288
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


失意と後悔、喪失感と無力感、生きる力を失った妻と彼女を支える夫。深く愛し合っている妻をよく理解していたはずなのに、本当は何も分かっていなかった。その発見が驚愕に変わり、やがて恐怖となる過程で、夫は妻の中に狂気を見てしまう。自責の念が生んだ幻覚なのか、初めから心の奥に潜んでいた彼女の本性なのか。現実と妄想の間で、映画は女という生き物が持つ魔性が男を苦しめてきた「原罪」の意味を問いかける。そこにあるのはセックスへの嫌悪感。即物的な快感は時に苦悩を和らげるが、確実に精神を蝕んでいくのだ。


幼い息子を転落事故で亡くした夫婦。妻はショックのあまり情緒不安定になり、セラピストの夫は彼女のトラウマを取り除くために、エデンと呼ばれる森の奥の小屋でセラピーを始める。しかし、妻の行動は徐々に常軌を逸していく。


息子の死がセックス中の出来事だったからなのか、妻はセックスに執着を示す。同じ行為を繰り返すことで悲しみを自らの体に刻みつけているかのよう。その上、屋根裏部屋に残されていた妻が死刑や拷問を研究していた痕跡と、息子の検視結果が妻を追いこんでいく。そう、エデンは決して2人に安寧をもたらす場所などではなく、悪魔の隠れ家だったのだ。本来、心理ホラーであるにもかかわらず、象徴と暗喩を多用した映像はネガティブなイマジネーションに富み、大胆な性描写は愛の営みではなく堕落した肉欲として描かれる。それは作り手が、神の存在よりも不在を強く意識しているからだろう。


◆以下 結末に触れています◆


彼女はさらに夫の性器を欲し、逃げられないように脚に頸木を穿つ。その一方で性欲を断つために自らクリトリス(ボカシで確認できなかったがおそらく)を切除する。もはや息子の死の「悲嘆」を遠ざけるのは壮絶な肉体的「苦痛」だけでは飽き足らず、「絶望」の先の“死”以外にはないというように。結局、夫は妻という悪魔を退治するが、まるで女こそが諸悪の根源といわんばかりのラストシーンは永遠の虚無を暗示していた。