こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

アイ・アム・ナンバー4

otello2011-07-11

アイ・アム・ナンバー4 I AM NUMBER FOUR


ポイント ★★
監督 D・J・カルーソ
出演 アレックス・ペティファー/ティモシー・オリファント
ナンバー 166
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


先の見えない隠遁生活の果てにやっと見つけた愛を貫き通すために、少年は立ち上がる。自ら覚醒させた能力を発揮して追っ手の襲撃からガールフレンドと我が身を守り、運命に決着をつけようとする姿は頼もしい。しかし、そこに至るまでの過程がはなはだ中途半端でリアリティがない。そもそも主人公に身を隠さなければ命が危ないといった切迫感がなく、自己顕示欲が強すぎるのはいかがなものか。きちんとした教育係がいるのだから、それは“若気の至り”や“反抗期”で済まされるものではなく、ただ彼らがアホなだけ。もう少し頭を使ってほしかった。


ロリアン星から地球に逃亡してきた9人の若者のうちナンバー3までが追っ手のモガドリアンに殺され、フロリダにいたナンバー4はジョンと名乗って田舎町に引っ越す。地元のハイスクールに通い始めたジョンは、サラという美しい娘と知り合うが、サラの元恋人に因縁をつけられた時、手のひらから強大なパワーが迸り始める。


他言できない秘密を抱えながらも、カノジョや友人と普通の人生を楽しみたいと願うジョンの心境が切なくも悲しい。だが地球人ではない彼らはそれが不可能だとわかっていなければおかしい。そのあたりのジョンのメンタリティが、米国の若者そのものなのはあまりにも芸がなさずぎではないか。彼らの故郷・ロリアン星も、もしかして米国文化に侵されているのか? ここはサラの視点から、「恋に落ちた相手が異星人だった」苦悩を描くべきだろう。もともとの設定から間違っている気がする。


◆以下 結末に触れています◆


さらに、怪獣が飼い犬に化けてジョンたちの目を欺けるのなら、ジョンたちも外見をまったく別人に変えられるはずなのに、そんな工夫もなく素顔をネットにさらしている。そういえばサラのカメラは今時珍しいフィルム式、ウェブにアップするのがめんどくさそう。しかもラストではジョンはサラに永遠の愛を誓うが、異星人との結婚って、法的にも生物学的にも問題多すぎるよな。。。さまざまなディテールにおいてツッコミどころが満載、そういう意味では退屈しない映画だった。