こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ルルドの泉で 

otello2011-11-05

ルルドの泉で LOURDES

ポイント ★★★
監督 ジェシカ・ハウスナー
出演 シルヴィー・テステュー/レア・セドゥ/ブリュノ・トデスキーニ/エリナ・レーヴェンゾーン
ナンバー 248
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


頭では理解しているが完全に希望は捨てていない。神を愛してはいるが敬虔なわけではない。首から下の身体機能がマヒしている彼女は、それでも両足で立つ夢を見るほどに意識下では快癒を期待している。物語は奇跡が認定された南仏の村・ルルドを訪れた人々の姿を通じ、“神”や“奇跡”の概念がいかに人間に生きる勇気を与えているか、一方でその気まぐれの残酷さを描く。抑制のきいた映像は決して神を肯定も否定もしない。ただヒロインの身の周りに起きた事実を淡々とカメラに収めていく。その、あくまで傍観者の立場を貫くアングルは、偏在するが存在しないという矛盾を抱えた「神」の視点にほかならない。


奇跡による癒しを求めてルルドを巡礼する障害者・病人のツアーに参加したクリスティーヌは、マルタ騎士団のボランティアに介護されつつ秘跡の順番を待つ。そして泉の水を頭と上半身に浴びた彼女の体に変化があらわれる。


ツアー客たちはさかんに随行の聖職者に“神の意志”を問い己の体は治るのかと疑問を投げる。答えは常に「肉体ではなく魂の治癒」といったとらえどころのないもの。それらの質問に何千回も答えているのだろう、わらをもすがる思いの傷病者の気持ちを慮り実態のない回答を繰り返す。まさしくカトリック教会の詭弁に過ぎないのだが、映画は決して批判したり皮肉ったりはしない。クリスティーヌの奇跡を素直に喜べない2人の老婆の反応が、聖地とはいえ、神の恩寵より人間の感情が充満していることを象徴していた。


◆以下 結末に触れています◆


左手が少し動き、翌朝は自力でベッドから起き上がり部屋の中を歩くクリスティーヌ。積年の願いが叶い周囲に祝福されるが、今度は喜びつつもいつかまた体が動かなくなる恐怖に駆られ始める。医師の診断も一時的な寛解、ぬかよろこびしないように釘をさす。さらに翌日目覚めたときに、まだ自分の体がいうことを聞くかどうかひとつずつ確かめる、不安に満ちた彼女の表情が障害者の心理状態をリアルに再現していた。。。