椿姫ができるまで Traviata et nous
監督 フィリップ・ベジア
出演 ナタリー・デセイ/ジャン=フランソワ・シヴァディエ/ルイ・ラングレ
ナンバー 177
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
抒情的でリリカルな前奏曲でのパフォーマンスから大胆な意見を交わす演出家とプリマドンナ。激しい応酬にもかかわらず、お互いの考え方を理解しようとする2人はどこかこの議論を楽しんでいるよう。あまりにも有名で世界的に愛されているオペラ、その解釈は冒険しすぎると前衛的とそっぽを向かれ、チャレンジが少ないと凡庸と評される。そういったプレッシャーの中で新たなヒロイン像を構築していく2人。映画はエクサン・プロヴァンス音楽祭で上演された「椿姫」の制作に密着する。スタジオでの顔合わせからステージでのリハーサルまで、「椿姫」の物語の進行とともにオペラも完成に近づいていく斬新な構成のおかげで、メイキングと音楽の両方を味わえる。
何もない稽古場に集められたか「椿姫」の主要キャストたち。ヴィオレッタを歌うナタリーに演出家のシヴァディエが感情を解き放てと指示を出す。ピアノだけの伴奏でヴィオレッタになりきるナタリーは様々な試行錯誤をする。
第1幕、舞踏会が始まると、快楽が人生と信じるヴィオレッタの思いを体で示すナタリー。様々なキメポーズを披露する場面に彼女の繊細さが反映される。ヴィオレッタがアルフレードと出会い、快楽より大切なものに気づくシーンは、まさしく己の生きるべき道を発見する瞬間。“不思議”という言葉について延々レクチャーするシヴァディエの狙い通り、ナタリーは愛こそが人生の真実と目覚めるヴィオレッタを歓喜に満ちた歌と演技で表現することに成功する。
◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆
やがて衣装を合わせメークを施しオーケストラが参加して、リハーサルは本番を意識したものになっていく。特に、死を待つばかりのヴィオレッタが足元から崩れるところを何度も繰り返し練習する場面には、ドラマにリアリティを持たせようとするナタリーの、歌手としてよりも役者としての魂が顔を見せる。はじめは別人格だった歌手と役柄が融合して行く過程は、オペラの内容以上に人間の内面を葛藤させる。そんな制作現場が新鮮だった。
オススメ度 ★★*