モーターサイクル・ダイアリーズ THE MOTORCYCLE DIARIES
ポイント ★★★
DATE 04/10/15
THEATER 恵比寿ガーデンシネマ
監督 ウォルター・サレス
ナンバー 121
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル/ロドリゴ・デ・ラ・セルナ/ミア・マエストロ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
若者の大人への通過儀礼としての旅。己の肉体、若さだけを頼りに辛く苦しい道を行く。目的があっての旅ではない。旅することそのものが目的なのだ。若者は行く先々で世の中を見、世界を知る。それは自分の可能性を試す旅でもあり、自分の非力さを知る過程でもある。そしてその後の人生までもを決定してしまう。
アルゼンチンの医学生・エルネストは友人のアルベルトとともにバイクで南米大陸縦断に旅立つ。豊かなアルゼンチンからチリ、ペルーと移動するうちに、恵まれた白人ばかりではなく先住民や思想的に弾圧された人々がいかに苦しい暮らしを強いられているかを知る。そしてハンセン病患者の隔離コロニーに到着した2人は、患者たちに受け入れられるようになっていく。
2人が最初に立ち寄るエルネストの恋人の家は大豪邸。一方でペルーの山中で暮らすインディオたちは土地も奪われ貧困にあえいでいる。鉱山で知り合った夫婦も半ば奴隷労働を強いられている。そもそも、この1952年という時代の南米において、バイクを持っているということ自体が金持ちということなのだろう。もちろんブエノスアイレスでは自動車が走っている。しかし、当時の南米ではアルゼンチンという国は特別に裕福な国なのだ。いまだに馬車や牛車が走る山道、たまに走るのはトラックくらい。チリではバイク自体が金持ちの証。彼らの本当の意味での旅はバイクを捨てた時から始まっている。
移動手段を徒歩やヒッチハイクに替えてからの2人はよりたくましくなる。自分の足で歩くからこそ、自分の足でしか移動できない人々の気持ちを知ることができる。まさに地を這うような経験をしたからこそ、底辺に生きる人間と共感を分かち合えるのだ。エルネストは後にチェ・ゲバラとなりキューバ革命に命を燃やす。その原点を描いているのだが、モーターサイクルを捨てた後の体験が彼の人生を変えたのにそのタイトルが「モーターサイクル・ダイアリーズ」とはなんとも皮肉だ。