こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

いま、会いにゆきます

otello2004-11-17

いま、会いにゆきます


ポイント ★*
DATE 04/11/13
THEATER 109シネマズ港北
監督 土井裕泰
ナンバー 134
出演 竹内結子/中村獅童/武井証/浅利陽介
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


現実にはありえないことが起きるのが映画の世界。そこにリアリティをもたせるために細部の表現にこだわり、説得力をもたせるのが映画作家の仕事のはず。しかしこの作品は始まってすぐに物語の語り部である青年は「奇跡」という言葉を口にする。つまり作品の冒頭で「これは作り話です」と宣言している訳だ。フィクションに現実感を肉付けする努力をせず、つじつまが合わないところを「奇跡」という言葉でごまかそうとするのは単なる怠慢ではないだろうか。どんなに優れたファンタジーもこの一言で陳腐な駄作に陥ることに気づいてほしい。この作品はもともと駄作だが。


小学生の佑司は父の巧と二人暮らし。梅雨が始まったある日、1年前に死んだ母・澪が二人の前に突然現れる。しかし、澪は記憶をなくしている。佑司と巧は澪を家に連れ帰り、彼女の記憶を取り戻させようと努める。やがて巧と澪は恋に落ちるが、澪は梅雨明けとともに元の世界に戻らなければならない。


原作を読んでいないが、自分の父親を「たっくん」などとニックネームで呼ぶ息子がいるだろうか。子供のころならいざ知らず、大きくなってからもそう呼んでいるのを見て気分が悪くなった。ニックネームで呼ばせている父親も父親。「親子といえども平等」みたいな歪んだリベラリズムの発想には悪寒すら覚える。佑司を演じた子役のかわいらしさにだまされてはいけない。


また、物語も矛盾だらけ。交通事故にあった澪が未来に行ったことが、佑司の言う「奇跡」なのだが、澪は自分が近い将来幼い子供と夫を残して死ぬことを知ったのなら、それを回避できたはず。なぜむざむざと死ぬのだ。また、死後1年で復活したときは記憶をなくしていることもあらかじめ残された二人に教えておけば彼らも混乱しなかったろうに。こういうめちゃくちゃな話こそディテールを大切にしなければならないのに、そういう感情表現もない。そもそもこの「奇跡」の根拠になっているのは澪が残した絵本というのお粗末さ。いくら癒されるラブストーリーがはやりだからといって、あまりにも安易な企画だったといわざるを得ない。


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