アワーミュージック NOTRE MUSIQUE
ポイント ★★
DATE 05/10/15
THEATER シャンテ・シネ
監督 ジャン・リュック・ゴダール
ナンバー 129
出演 ナード・デュー/サラ・アドラー/ロニー・クラメール/ジャン・クリストフ・ブヴェ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
人類は武器を手にして以来、殺人と戦争を繰り返してきた。憎悪は憎悪を生み、破壊と殺戮を拡大再生産する。そんな歴史を色濃く反映させる、民族浄化という名の下で大量虐殺が繰り広げられ内戦の傷跡も生々しいサラエボ。ゴダールは映画や文学の構造を解体して再構築する過程で、人類の共存や平和について語る。ただ、そこに用意されているのはおびただしい量の哲学問答と難解な言葉の羅列。わざと読みづらくした官報のような回りくどさに辟易する。なぜもっとわかりやすいスタイルで語らないのだろうか。
サラエボに講演に招かれたゴダールは、映画の表現を通じてイスラエルとパレスチナ問題を読み解こうとする。聴講生の一人・オルガはゴダールの言葉に感銘を受け、自ら製作したDVDをゴダールに手渡す。そして、帰国したゴダールのもとに「オルガが自爆テロを実行しようとして射殺された」という知らせが入る。
何百語、何千言の言葉を費やしても、映像に勝る饒舌な表現方法はあるまい。しかし、この作品は映像で語ることよりも言葉が主役となる。もちろん語られる言葉ひとつひとつに重さがあり、その蓄積がこの作品の主張となってはいる。ただ、それはシンプルな問題をことさら複雑にアレンジして装飾を施しているだけ。要するに「お互い理解しあって殺し合いはやめようね」ということをいいたいのだろう。そしてそんな主張はお題目に過ぎず、またどこかで誰かが新たに殺し合いを始めているという悲惨な現実を描きたかったはずだ。
結局、評価されるのは理論より実践、言葉より行動なのだ。ならばゴダールもオルガという女学生を主人公に据えて、彼女の目を通して自分の主張を映像として表現すべきだろう。解釈の余地が限定されているわりには、表現に物足りなさを付きまとう作品だった。