こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ドア・イン・ザ・フロア

otello2005-11-04

ドア・イン・ザ・フロア THE DOOR IN THE FLOOR


ポイント ★★★*
DATE 05/11/2
THEATER 恵比寿ガーデンシネマ
監督 トッド・ウィリアムズ
ナンバー 136
出演 キム・ベイジンガー/ジェフ・ブリッジス/エル・ファニング/ジョン・フォスター
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


子供を失った時、父親と母親ではこれほどまで悲しみの深さが違うものなのだろうか。父は仕事に打ち込み、幼い娘を愛し、浮気を繰り返すことでもはや喪失感は乗り越えている。しかし、母はいつまでも心を閉ざし、娘の面倒すら見ようとしない上、笑うことを忘れてしまっている。当然、夫婦の間には亀裂が生じ、幼い娘という鎹があっても結婚生活を続けていくことはもはや困難。自分の子供に対する愛情の温度と湿度の差をあらためて考えさせられる。


人気作家・テッドのもとに夏休みの間だけインターンとして出入りするようになった高校生のエディは、自分を迎えに来たテッドの妻・マリアンの美しさにひと目で魅かれる。テッドとマリアンは別居中で、程なくエディはマリアンにセックスの手ほどきを受けるようになる。


人間は誰でも未知の一歩を踏み出さなければならない時がある。たとえそれが床に作られた暗黒の奈落につながるドアであっても、そこに入ってみなければ変わることはできない。テッドにとってはエディをマリアンに与えること、マリアンにとってはエディを受け容れた後に家族を捨てること、そしてエディにとっては年上の人妻という禁断の実を食べること。もはや修復不可能なところまでほころんでしまった家族の絆を元に戻す術はない。ならば少しでも状況がよくなるようにと配慮するテッドの家族へのやさしさが身にしみる。


わがまま放題で浮気を繰り返していても、ふさぎこんでいるマリアンに代わって娘の面倒を見、マリアンの身を案じているテッドこそがいちばんの家族思いだ。ふたりの息子を同時に亡くした悲しみはテッドも変わらないはず。それでも残された家族のために前向きに生きようとするテッドと、時間が止まったままのマリアン。職業を持つ女性なら仕事上の責任がいつまでも悲観にくれていることを許さないはず。自分ひとりが悲しんでいると思い込む専業主婦のずるさを、キム・ベイジンガーが繊細に演じていた。それにしてもあのボカシ、何とかならないものだろうか。


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