こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ダウン・イン・ザ・バレー

otello2006-01-04

ダウン・イン・ザ・バレー DOWN IN THE VALLEY

ポイント ★★*
DATE 05/12/26
THEATER シネマライズ
監督 デビッド・ジェイコブソン
ナンバー 161
出演 エドワード・ノートン/エバン・レイチェル・ウッド/ローリー・カルキン/デビッド・モス
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


退屈な日常に消費されていく青春。不自由な暮らしをしているわけではなく、親に愛されていないわけでもない。それでもどうしようもなく湧き上がる閉塞感と夢をもてない将来。そんな生活を送っている少女にとっては、流れ者が自分の人生を変えてくれる存在に見えるのは仕方がない。当然親には交際を反対され二人の仲は引き裂かれる。ただ、この流れ者が最後までミステリアスな上、バックグラウンドがほとんど説明されないので、映画自体も消化不良になってしまった。


郊外の住宅地に住むトーブはハーレンという男と知り合い、彼の自由に生きる姿と謎めいたところに惹かれたちまち恋に落ちる。しかし、父親はハーレンのような流れ者との交際を認めない。ある日、ハーレンはトーブを訪ねるが留守だったので弟のロニーを連れて外出、射撃を教える。


カウボーイハットにブーツ、射撃の腕も百発百中、馬に乗って移動するというハーレンはまさに時代遅れのカウボーイ。流転する人生しか知らない男には正業を持つ人間が小さく見え、土地に縛られた生き方しかできない人間にとってハーレンははぐれものでしかない。だが、世間を知らない子供には刺激的に見える。ハーレンの放浪の目的や夢がもう少しはっきりしていれば彼に共感を得られるのだろうが、キャラクターが明確になるにつれ魅力がなくなっていく。


ハーレンはトーブに駆け落ちを迫るが断られ、彼女を撃ってしまう。さらにロニーに嘘をつき、逃亡の手伝いをさせる。ここでハーレンが少なくとも正直な男だったら映画も救われたのだが、結局口先だけの無責任な男であるということが明らかになる。馬の背に乗っての逃避行は奇妙なやさしさに包まれ、ハーレンの死を予感させる。しかし、予想通り彼が死んでも決してカタルシスを感じることはできない。むしろトーブの父の心境に共感し、まじめに生きることを拒む流れ者に対しての嫌悪感だけが募っていった。


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