プルーフ・オブ・マイ・ライフ PROOF
ポイント ★★
DATE 06/1/19
THEATER 渋谷ジョイシネマ
監督 ジョン・マッデン
ナンバー 10
出演 グウィネス・パルトロウ/アンソニー・ホプキンス/ジェイク・ギレンホール/ホープ・デイビス
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
天才と狂人は紙一重というが、その共通点は何を考えているかさっぱりわからん、ということだ。天才が見るヴィジョンは時に世紀の発見につながるが、ひとつ間違えば狂人の発想になりかねない。狂った人間は自分が狂っていることを絶対に認めないから、「私は狂っている」という人間は狂っていないという論理。映画もこの二律背反のように、正気と狂気の微妙なバランスの上にかろうじて成り立っているが、あまりにも繊細なヒロインの心に似て少し手に負えなくなってしまった。
天才数学者である父・ロバートを看取ったキャサリンは姉のクレアとともに葬儀を無事に終わらせる。そんな時、ロバートの弟子ハルが遺品を整理していると「世紀の発見」ともいえる定理を記したメモが見つかる。しかし、キャサリンはその定理は「自分のものだ」と主張する。
結局、キャサリンは精神を病んでいたのだろうか。ロバートは客観的におかしくなっていることは明白なのだが、彼の血を濃くひくキャサリンもまたガラスのようなもろさだ。自分を守るために嘘をつき、いつしかその嘘が真実だと思い込む。自分が壊れていく過程を自覚する、その恐ろしさを描いてくれればよいのだが、映画の視点はあくまで曖昧。その揺らぎの中で、見ているほうは最後まで確固とした足場を見つけられない。
映像は客観とキャサリンの主観が入り混じり、どこまでが現実でどこからがキャサリンの妄想なのか境界がはっきりせず、混乱を増長させる。その混乱こそがキャサリンの心理状態を象徴しているのだが、やはり理解するのは困難。ドラマの鍵となる新発見の定理もその役割がよくわからない。キャサリンは父をよく理解していたはずだし、定理を通して父の別の顔を見つめなおすわけでもない。結果として、何が正常で何が異常なのかわからなくなってしまった。