こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

エミリー・ローズ

otello2006-03-13

エミリー・ローズ THE EXORCISM OF EMILY ROSE


ポイント ★★★*
DATE 06/2/20
THEATER ソニー・ピクチャーズ
監督 スコット・デリクソン
ナンバー 26
出演 ローラ・リニー/トム・ウィルキンソン/キャンベル・スコット/ジェニファー・カーペンター
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


おどろおどろしい効果音とBGMに頼った安手のホラーと、緊張感あふれる法廷劇が見事に融合している。ひとりの少女の死を悪魔のせいにするか人間の過失に帰するか。神父という、神を肯定するために悪魔の存在を必要とする職業の人間が己の正当性を語れば語るほど、神や悪魔というものが人間の脳神経細胞の中でしか認識されない存在であることが明らかになってくる。信仰において神や悪魔は存在しても、法廷では存在しないという事実をこの作品は鋭く切り取る。


精神を蝕まれたエミリーはムーア神父の悪魔祓いの儀式の最中に命を落とす。ムーア神父は過失致死の罪に問われるが、敏腕弁護士・エリンが弁護を引き受け、法廷では悪魔の存在が争点となる。


検察側が被告の言う「悪魔」というものを科学的に否定しようとする過程は、論理的な構築を重ねてきわめて説得力がある。エミリーが体験する幻覚や金縛り、口にする古代言語など、すべて神経の刺激で証明される。しかし、検察側も信仰の対象としての神まで否定しているわけではないので、悪魔の不在の証明は神の不在につながりかねない。一方で被告側はエミリーの奇異な行動という表層的な様子を観察しているだけで、科学的な根拠に乏しい。だからこそ、ムーア神父は神にささげた自らの存在価値をかけて悪魔の存在を訴えるのだ。


結局、ムーア神父は有罪になるが刑期は終了したというきわめて現実的な妥協点に着地する。悪魔の存在は否定するが神父の愛=神の御心までは否定しないという解釈なのだろう。悪魔の存在と法の解釈という二律背反を結びつけた力技には敬服するが、それでは公判中にエリン弁護士やムーア神父が見た悪魔の影はいったいなんだったのだろうか。やはり、悪魔はその存在を信じるものの前にしか現れない、要するに客観的に存在しない脳内現象にしか過ぎないのだ。それは神も同じ。エミリーが正常な状態の時のインタビューを挿入すれば、もっと明確な答えが得られたと思うが。


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