ポイント ★★
DATE 06/7/6
THEATER 中野ZEROホール
監督 細田守
ナンバー 107
出演 ///
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
複雑かつ予測不可能に揺れ動く女子高生の心理は理解を超えている。彼女の微妙な心の綾を丹念に描こうとするあまり、映画自体が物語の隘路に迷い込み、もがけばもがくほど身動きが取れなくなっている。せっかく手に入れた「過去に戻る能力」の使い道があまりにも幼稚な上に、繰り返し書き換えた過去に対して何のフォローもしない。いくらいまどきの女子高生でも、もう少し悩み、もう少し考え、もう少しましな使い方があることに気づくはずだ。
高校2年の真琴は、ある日理科実験室で過去に飛ぶことのできるタイムリープという能力を得る。最初は身近なところでその力を駆使するが、やがて、ふたりの男友達・千昭と功介との友達以上恋人未満の関係のバランスをとるために使い始める。
だいたい真夏の炎天下で高校生男子ふたり女子ひとりの3人組が野球などするものだろうか。それも日課のようにキャッチボールをし、トスバッティング。あわただしく時間を行き来するヒロインの心理状態とは裏腹に、まったりとした時間の流れを表現したかったのだろうが、もう少しリアリティのあるシチュエーションを考えられないものだろうか。3人でいることが楽しくて仕方なく、幸せな時間と空間が恋愛感情に発展することで壊れてしまうことに恐れを抱くのは分るが、真琴はそれが永遠に続かないことも分っているはず。そのつらさを乗り越えてこそ大人になるのに、映画はタイムリープなどというばかげた能力で真琴を子供のままでいさせようとする。
勝手に過去をいじることは様々な人々の人生に深刻な影響を与えるということを学ぶべきなのに、真琴にはその学習能力がない。せっかく「魔女おばさん」と呼ばれる相談相手がいるのに、彼女もまた真琴に実りあるアドバイスをするわけでもない。いや、唯一「タイムリープは年頃の女の子にはよくあること」といった魔女おばさんの言葉がこの作品の本質を言い当てている。つまり、この物語自体が夢想癖のある真琴の妄想だったということだ。真琴の白日夢と解釈すれば、どんな矛盾も納得がいく。