こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ストロベリーショートケイクス

otello2006-09-30

ストロベリーショートケイクス


ポイント ★★*
DATE 06/9/25
THEATER シネアミューズ
監督 矢崎仁司
ナンバー 161
出演 池脇千鶴/中越典子/中村優子/岩瀬塔子
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


恋、仕事、友人。様々な悩みや小さな問題を抱えながらも、生きていかなければならない。カメラは4人の若い女性の日常を彼女たちと同じ視線の高さで追いかける。しかし、ここで描かれる生活や女性の心情はリアルさゆえにあまりにも平凡で、共感は得られてもそれ以上のものは伝わってこない。もっと登場人物の心に踏み込んで、日常生活の描写を登場人物の人生観にまで昇華するくらいの工夫は必要だろう。映画は雑誌の連載マンガや深夜放送のテレビドラマではないのだから。


恋がしたいデリヘルの電話番・里子は一人の男を思い続ける人気デリヘル嬢の秋代と仲良くなる。拒食症のイラストレーター・塔子は結婚願望の強いOL・ちひろと同居しているが、2人はしっくりいかない。みなそれぞれ壁にぶつかり新しい生き方を模索する。


手に職があるゆえにプライドが高く、その反動で嘔吐を繰り返す塔子と、若くてかわいいだけが取柄の一般職OLのちひろの対比が見事だ。塔子の、自分の感性が作品となって世に出る喜びとその対価としての孤独。ちひろの、会社にも恋人にも便利な存在としてしか扱われない焦燥感。同郷の友人というだけでルームシェアする2人に接点は乏しい。だからこそ快適に暮らそうとお互いにぎこちなく気を使っている。そしてお互いに対する不満が澱のようにたまっていく。お互いに「大嫌い」と言い合うシーンは仲のいいように見える友人同士でも、その距離感を誤ると求心力が斥力に反転することを強烈に物語る。


それに対し、里子と秋代のエピソードはどこか力が抜けている。二人とも生きることに対する切迫感に乏しいからだろうか。里子は恋にあこがれているだけのフリーターだし、秋代は体を売る上に棺桶の中で眠るほど生に対する執着は乏しい。べスパは里子の、メガネは秋代の、都市に漂流する何者にもなれない若者の記号としての機能は持つが、彼女たちがそれを捨てたとき、果たしてそれは夢をもてなくなった下流の人々に何らかの希望をもたらしたのだろうか。。。


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