こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

敬愛なるベートーヴェン

otello2006-12-11

敬愛なるベートーヴェン COPYING BEETHOVEN


ポイント ★★*
DATE 06/10/12
THEATER 映画美学校
監督 アニエスカ・ホランド
ナンバー 174
出演 エド・ハリス/ダイアン・クルーガー/マシュー・グード/ラルフ・ライアック
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


創造主を称える歓喜の歌声に、胸は高鳴り感情は解放される。そこにいた人は皆は涙を流しながら総立ちになり、音楽を通じて天国を感じる。音楽の神からの平和と友愛のメッセージは選ばれし天才を媒介として初めて人類のもとに送られるが、有能な助手の存在なくしては成立し得ない。しかし、この作品は天才と凡人を対立項としてではなく、補完関係として描く。老境のベートーヴェンと若くて美しい女性の助手。この2人に音楽における師弟以上の関係が芽ばえず、芸術性の追求に焦点を絞りすぎたことが物足りなさの原因だろうか。


「第九」初演の日が迫っているのに第4楽章がまだ完成していないベートーヴェンの下に、アンナという音楽学校生が手伝いにやってくる。彼女の才能を見抜いたベートーヴェンは楽譜の清書を任せた上、難聴を補うために本番の舞台の陰から指揮の補助をさせる。公演は大成功するが、祝福しようとするベートーヴェンを残してアンナは恋人と共に帰っていく。


芸術のためにあらゆるものを犠牲にしてきた男らしい、わがままと気難しさ。部屋の掃除は一切せず、近所迷惑も考えない。そんな典型的なアーティストと、彼を見守るアンナの壊れやすい間。アンナにセクハラをしたり、アンナの恋人のプライドを砕いたりするところを見ると、ベートーヴェンも彼女を少なからず性的な対象と見ている。アンナのほうも才能はないが優しい恋人よりも、ベートーヴェンの天才に触れることを優先させている。ならば、この2人に愛や嫉妬といった人間のドロドロとした感情こそ素晴らしい芸術を生むエネルギーであることを証明してほしかった。


男と女、2人だけでいる時間が圧倒的に長いのに、師匠と弟子という以上に発展しない。せっかく「第九」という素材を扱っているのだから、アンナを一流の作曲家にするためにもっと喜怒哀楽を音楽で表現する方法を伝授すべきだろう。芸術には技巧よりも感情の発露が大切である事が、この作品にも当てはまっている。


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