こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

それでもボクはやってない

otello2007-01-24

それでもボクはやってない


ポイント ★★★★
DATE 07/1/19
THEATER 109グランベリーモール
監督 周防正行
ナンバー 13
出演 加瀬亮/瀬戸朝香/山本耕史/もたいまさこ/役所広司///
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


警官、検事、裁判官。司法に従事し、圧倒的な国家権力をもって国民の人生を踏み潰す人間たち。彼らは正義の名の下に無実の人間を罪に貶めても自らの誤謬を一切認めようとせず、反省もなくその地位に留まる。恐ろしくいい加減な取調べ、先入観の塊のような検察、そして無実を訴えることを「反省がない」と斬って捨てる裁判官。映画は痴漢冤罪裁判を通じて、普通の暮らしをしていても降りかかるかもしれない理不尽な不運をリアルに描く。そして人間が人間を裁くというシステムそのものの不備を問う。


面接に行く途中の満員電車で女子中学生に痴漢として捕まえられた金子は、そのまま逮捕・拘留される。あくまで無罪を主張する金子は刑事裁判にかけられるが、その過程で支援者たちとともに反証を探していく。


被害者の申し立てだけで被疑者が犯人にされてしまうという、魔女狩りのような現実。中学生が痴漢被害にあったことは事実なのだろう。しかし、彼女は犯人の顔を見たわけでもないし一度犯人の手を離している。警察もきちんと物証を集めていない。それなのに、被害を申し出たという勇気だけで、女子中学生の言い分は通ってしまう。警察・検察・裁判所において、痴漢事件については被害者の言い分がすべてで被疑者の言い分は一切拒絶されるという恐るべき現実が、緊張感あふれる映像からひしひしと伝わってくる。


そして、何度も繰り返される公判のシーンはあくまで日本の裁判の実態を忠実に再現する。疑わしきは罰せずという良心を持った裁判官から、疑わしきは罰するという厳罰主義の裁判官への交代で、裁判は金子にとってますます不利になる。裁判官の性格ひとつで無辜の市民が犯罪者に貶められていく過程を通じてこの映画が訴えたかったのは、一刻も早い裁判員制度の導入だろう。それを重大な犯罪だけでなく、身近な刑事事件にも適用すること。まともな市民感覚を持たない裁判官が一人で支配する法廷に、人を裁く際には複数の角度から慎重に審議する必要があることを痛感する。


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