こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ベクシル

otello2007-08-22

ベクシル

ポイント ★★*
DATE 07/5/25
THEATER メディアボックス
監督 曽利文彦
ナンバー 103
出演
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


ロボット同士がぶつかり破壊しあう金属の重量感にこだわった圧倒的なサウンドとヴィジュアル。CGだからこそなしえたメタリックな質感はデジタルの特性を極限にまで引き出し、リアルを超えた未来社会をディテールまで描きこむ。しかし、そこに現れるロボットやアンドロイドはハリウッド映画の焼き直しの域を出ておらず、せっかくの表現技術をデザイン力不足ゆえに生かしきれていない。特に東京の街並みは東南アジアのマーケットのよう。活気にあふれてはいるが未来社会という感慨はない。


2077年、デジタル鎖国中の日本の秘密を探るため、米国政府は特殊部隊を送り込むが失敗、ベクシルだけがマリアという女に救われる。そこでベクシルは、日本は大和重鋼という企業に支配され、ほとんどの人間はアンドロイドに改造されていたことを知る。ベクシルはマリアらの抵抗組織に参加し、共に戦う決意をする。


大和重鋼は、人間をワクチンによって細胞レベルから徐々に変化させ、最後にはすべての肉体が機械に代替し、不老不死という永遠の命題を解決する技術を日本人に実践する。しかしそうやって手に入れた完全な進化は決して人間に幸せをもたらさないことを、斉藤というサイボーグ化された男に気付かせ、その気持ちを語らせるべきだった。死ねないことの苦悩、永遠に続く生という煉獄に身を焦がす男の深層心理を描いてこそ、命の大切さが伝えられたはずだ。


結局、ベクシルとマリアは大和重鋼の島を崩壊させ首謀者の如月を倒すことに成功するが、日本という国は滅亡し人々もすべて死ぬ。その過程、何事にも完全や永遠などなく形あるものはすべて消え行くという、諸行無常の思想には程遠い。一企業の陰謀に乗っ取られた日本という国を日本人自身の手で取り戻そうとする行為に、なぜ米国人のベクシルが加担する理由があったのだろう。これが作品が日本人の手によるものであることに疑問を覚える。


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