こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

音符と昆布

otello2008-01-31

音符と昆布


ポイント ★*
DATE 07/12/6
THEATER 映画美学校
監督 井上春生
ナンバー 249
出演 池脇千鶴/市川由衣/石川伸一郎/島田律子
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


味も香りも伝えられない写真で、料理を美味しく見せるために鮮やかな彩りに凝る。それは素材の持つ色のシャープさ、すなわちどれだけ忠実に光を記録するかにかかっている。それは映画においても同じはずなのに、この作品は被写体の明度にまったく関心がないのか室内のシーンでも自然光だけで撮る。結果的に映像全体が暗くくすんでしまい、特に光源が電球だけの廊下のシーンでは黒ずんだような印象。照明を使うなりデジタル補正するなり、映画を撮るならば少なくとも俳優の顔がきちんと判明するくらいの光量は必要だろう。


嗅覚のないフードコーディネーター・もものところに幼いころに生き別れた姉・かりんが転がり込んでくる。かりんは自閉症で、ももから見ると火星人のよう。ポラロイドカメラで撮った外灯を音符に見立ててピアニカを奏でるが、その中の一枚の写真がないことで、かりんの気持が安定しない。


かりんは物事を言葉通りに取り、からかわれていたり、言葉の裏の意味が理解できない。その一方で妙な知識は深く、辞書の注釈を一字一句たがわず諳んじる。干ししいたけの戻し汁の使い方にこだわったり、アイロンで目玉焼きを作ったり、そんな自分が他人から見るとヘンだということも分かっている。ももはガスのにおいがわからないためにガスレンジを使えない。欠点があるからこそ人間、短所を認め合うからこそ肉親というこの映画の主張はよく分かるのだが、エピソードにリアリティがなく自主映画のような「安さ」が透けて見える。せめて色彩の発色をよくするくらいのこだわりを見せて欲しかった。


ももはかりんの欠けた一枚を撮った場所を特定し、そこに外灯を立てて同じ構図のポラを撮ることでかりんを姉として受け入れる決意をする。そのポラだけは正像で2人の姿が写っている。お互いが唯一の姉妹であることの確認作業を通じて相手を思いやる心を取り戻すのだ。なんか「レインマン」を換骨奪胎して失敗したような作品だった。


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