こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

千年の祈り

otello2009-10-01

千年の祈り A THOUSAND YEARS OF GOOD PRAYERS


ポイント ★★★
DATE 09/9/28
THEATER KT
監督 ウェイン・ワン
ナンバー 230
出演 フェイ・ユー/ヘンリー・オー/パヴェル・リチニコフ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


しきたりに縛られた中国で生きてきた父と、米国に渡って自由を謳歌している娘。2人の心は予想以上に離れている。家族主義と個人主義、伝統と革新、会話と沈黙、親と子、男と女。歳月と距離の隔たりを超えたあらゆる対立項をもつ父娘を一つの屋根の下に生活させ、失われた家族の絆と肉親ゆえの愛憎を浮き彫りにする。映画は抑制のきいたタッチで彼らの葛藤と和解を描き、米中間の文化の違いだけでなく、中国の一人っ子政策のひずみにまで言及する。


米国で研究員をつとめるイーランのもとに、父のシーが北京から訪ねてくる。シーは離婚して1人暮らしのイーランの日常にことあるごとの口出しし、イーランのいら立ちが募っていく。


せっかくシーが料理の腕を振るっても食卓でのイーランとの話はかみ合わない。シーは公園で知り合ったイラン人老婆とたどたどしい言葉を交わすうちに、彼女もまた米国流の暮らしに慣れた息子との間にしこりを残しているのを察する。そして、彼女が老人ホームに送られたと知って、シーは己の行く末を予感するのだ。老人は家族が面倒をみる、中国でもイランでも当たり前なのに、米国では個を尊重するあまり、老いた親はホームに入れられる。イーラン以外に子供がいないシーにとって、彼女の境遇をわが身に重ねたに違いない。


シーとイーランの感情の溝はますます深まり、イーランの不倫が離婚原因と知ってすれ違いは決定的となる。「いつまでいるの」というイーランの残酷なセリフが、イーランにとってシーはお荷物でしかないという冷酷な現実を示す。結局、シーも自分の秘密をイーランに打ち明けて、2人は表面上は仲直りするが、その思いは平行線のままだ。見つめあって合って話すのではなく別々の部屋から声を発し、川べりのベンチでも同じ方向を見ている。それはお互いを理解したことで、かつての親子関係からの卒業を意味する。古い価値観が新しい価値観に駆逐されていく、その寂しさが身にしみる作品だった。


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