ポイント ★★*
監督 アシフ・カパディア
出演 アイルトン・セナ/アラン・プロスト/フランク・ウィリアムズ/ロン・デニス/ヴィヴィアーニ・セナ/ミルトン・ダ・シルバ
ナンバー 220
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
何度表彰台に上がっても、どれほどの富と名声を手に入れても、スピードとテクニックを楽しめた18歳のころの純粋な気持ちを忘れられない。ただ自分のためだけに走っていればよかったカートレースの時代とは違い、F1は自動車メーカーが社運を賭け開発したエンジンやメカニズムのプロトタイプの出来栄えを競う場。そこには当然大勢のスタッフの思惑が交差し生活がかかっていて、ドライバーはもはや“個人”として存在できない。あまりにも速くレースカーを操ることができた男がスーパースターになっていく過程で、その運命を祝福しつつ人生に苦悩する姿を膨大なアーカイブから紡いでいく。
裕福な家庭に生まれたセナは、少年時代からカートレースに夢中になる。24歳でF1デビュー、モナコGPで好成績を収める。その後ロータスチームに移籍、メキメキ頭角を現し、トップレーサーの地位を確立する。
優勝を重ねるにつれて、同じチームのライバル・プロストとの亀裂は深まるばかり。ついには袂を分かってしまう事態に至る。映画はあくまでセナ側から描かれているため、プロストのフランス人人脈の陰謀にハメられたという構図を取っているが、実際にはセナの危険な運転が原因でもあったはず。そこは少しバランス感覚が欠けているのではないか。マスコミを通じての中傷合戦などでプロストへの不満、協会に対する不信を口にしたりもするが、レース業界の“ビジネス”や“政治”とは距離を取ろうとする姿勢をセナは貫く。このあたりが、スピードに魅せられたセナのピュアな感性が世界中のファンの心をつかんだ所以だろう。
◆以下 結末に触れています◆
94年、サンマリノGPでコースアウト、肉体的損傷は少なかったのにもかかわらず頭部への衝撃がセナの命を奪う。運転席のすぐ右上に据えられた車載カメラがとらえた、低い視点からの目まぐるしくコーナーを曲がり、加速と減速を繰り返す映像は、まさにセナが最期に見た光景。レースをこよなく愛したセナは、レースの神に愛されすぎた故に、若くして神のもとに召された。そんな感傷に浸りたくなるような彼の生涯だった。