こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

わたしの可愛い人―シェリ

otello2010-10-20

わたしの可愛い人―シェリ CHERI

ポイント ★★
監督 スティーヴン・フリアーズ
出演 ミシェル・ファイファー/ルパート・フレンド/キャシー・ベイツ
ナンバー 250
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


都心部の小じゃれた一軒家も郊外の豪邸も贅を尽くした家具調度に囲まれ、メイドと執事が常駐する。王侯貴族や大商人・文化人をパトロンにして社交に花を咲かせる高級娼婦=ココットの暮らしぶりのゴージャスなこと。それは、ただ男に身体を供するだけでなく“恋愛”そのものをビジネスにする女たちのゲームの成果、一線を退いてもなお資産運用で生活レベルを保っている。映画はそんなココットと世間ずれしているはずの若者の関係を通して20世紀初頭パリの爛熟と退廃を描く。ファッションから街並み、クラシカルな自動車といった小道具にまで行きとどいたベル・エポック趣味は見ていると気持ちが華やぐ上、若さや初々しさがありがたがられる日本とは違い、経験こそ女性の魅力というフランス人の価値観が興味深い。


かつて人気ココットだったレアは、同業者マダム・ブルーの息子・シェリを紹介される。瑞々しい肉体を持つシェリはすでに女遊びに飽きていたが、レアの40歳を過ぎても気品あすれるたたずまいに惹かれ、レアもまた彼との同棲に居心地の良さを覚える。だが6年後、シェリに結婚話が持ち上がる。


新婚旅行中も新妻をレアと思って抱くシェリ。一方のレアも、傷心旅行中に声をかけてきた男にシェリの面影を重ねてベッドを共にする。体は離れていても気持ちはひとつ、だがふたりはお互いにプライドが邪魔するのか素直になれず、なかなか縒りを戻せない。年齢差は20歳以上、愛が芽生えること自体がやや不自然に思えるのに、その空白を埋めるヒントがないのが残念だ。おそらくレアは男が忘れ得ないほどの快感をもたらす閨房術の持ち主だったはず、しかしそこに触れなければこの愛は理解できないではないか。


◆以下 結末に触れています◆


そして確実に過ぎ去る時間はレアの美しさを奪っていく。未練を残しながらもシェリがレアのもとを去るのは、やはり年齢の埋めがたい溝を感じたからだろう。自分の顔を細かくチェックし容色の衰えを自覚するレアの姿は老いの悲しみに満ち溢れ、恋は引き際が肝心ということを深く刻まれた彼女の法令線が物語っていた。