こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

雷桜

otello2010-10-27

雷桜


ポイント ★★*
監督 廣木隆一
出演 岡田将生/蒼井優/小出恵介/柄本明/時任三郎
ナンバー 255
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


人里離れた山で育ったゆえ、女はなにものにも縛られずに暮らしている。将軍の子として生まれ心を病んでいるがゆえに、男は1人では何もできない。身分も境遇も対極にあるようなふたりの運命が交差したとき、直感は激しく共鳴し若き情熱が燃え上がる。地位と権力がありながらも思いのままに行動できないもどかしさと、そんな相手を愛してしまった苦悩。物語は決して叶わないとわかってるからこそ強く惹かれあう男女の姿を通じて、建前が支配する社会の息苦しさを描く。悲しくも美しい恋を見守る大ぶりな桜が散らす無数の花弁がそのはかなさを象徴しているようだった。


“山の天狗”と恐れられている遊は、ある日療養に来ていた徳川家の子・斉道と出会う。本当は自分が庄屋の娘だと知った遊は山を降り、静養中の斉道を山に連れ出し、語り合ううちにお互いを意識し始める。しかし、ほどなく斉道は江戸に帰ってしまう。


なにごとも偽らない遊は斉道にどう思うと聞かれ「おまえはおまえだ」と答える。「おまえ」呼ばわりされた不快さよりも、ありのままの自然体でいる大切さを教わった斉道は、遊こそが己の人生に漂う閉塞感から脱却する突破口に思えたに違いない。一方で初めて他人の優しさに触れた遊もまた、人間同士のつながりの素晴らしさを斉道を通じて知る。そのあたりの彼らの心情の変化を、山や草原のみずみずしい風景をメタファーにして恋の高揚感を謳いあげる映像が爽やかさをもたらす。


◆以下 結末に触れています◆


その後、紀州徳川家の養子と決まった斉道は江戸を抜け出して遊に会いに行く。祭りの夜、狐の面をつけた遊がその奥に秘めたまなざしで斉道に胸の内を伝えるシーンが幻想的で、浮遊するような非現実感がこの恋の行く末を暗示する。結局ふたりは一夜限りの契りを結ぶが、遊を選ぶことは家来の命を奪うことと知った斉道は遊への思慕を断ち切る。それでも「自由に生きたい」という斉道の願いが託されたラストシーンは、予想通りではあるがこの悲恋に救いをもたらしてくれる。